余計な荷物を捨てながら進もう


時が与える体験


時間薬。

この言葉を目にするたびにいつも思っていた。

状況を何一つ変えないで
ただじっと時が過ぎるのを待てということ?

だとしたら私にはそれは耐えられない と。

忘れ去りたいような体験をしたならば、
そこからはプラスの体験を積み上げたい。
時間の助け「だけ」を期待していれば
マイナスの感情がどんどん堆積していってしまう気がする。

そのまま放置することで 時間という既成事実を作ってしまう。
長い長い時間が過ぎたあとで
これは本意ではない、
本当はこうありたかった!

と声を出すには 既に時の重みに身動きができなくなっている。

のしかかった時の重みを打ち砕く勇気が出ずに 妥協、妥協を繰り返す。
そんな人生は私には耐えられそうもない。

私は、とただし書きをつけて言うのだけど
自分が愚かであると
自分が欲張りであると
自分が寛容でないと

知ったからこそ そう思う。

もがき苦しむことなく、何の心的葛藤もなく
すっとスライドするように 我欲のない人間になれるかといえば、
それは嘘だ。

そんな芸当ができるほど
私の土台は上等にはできていない。

それを知っているから

歳を重ねるだけで
そんな人間になれるだろうという自信も当然ない。

時間だけで、そんな風にはなれない。

めいっぱいジタバタして我欲を通そうとした末に
結局はその我欲が問題なのだと知る
(知ったとしても捨てることは出来ないだろう)

自分はそんなタイプの人間だと思う。



幸せになりたい と強く願う。



この 幸せになりたい!という思いが「欲」だとすれば
本当の幸せ、深いところにある幸せ、を目指すものである限り、
いくらでも欲張っていいものじゃないかと思う。


人間としての、本物の、比類のない幸福感を得るという
たったひとつの欲を満たすために
実際には、
捨てるべき他のものを 数限りなく捨てていくことになるのだから。
お金や名誉でいっときの優越感を得ても
自己の空虚さにたちまち不安が襲ってくること

自分だけが満たされたところで
その幸福感には嘘っぽさがあること

それではと てっとり早く自分を犠牲にし他人を優先しても
心がすり減るばかりであること

もう私はそれを知っている。
幸せになりたい!と欲張って生きてきたから気づけたこと。


面白いことに 欲張れば欲張るほど
私は少しずつ 謙虚になり 自由になり 感謝し 賢くなっていく。 


この「本当の幸せ」を求める“強欲”を抑えることなく
ああでもないこうでもない、と試行錯誤を繰り返す。


そんな私につきあってくれる夫の寛容さに
今はひれ伏して感謝したい。


でも ごめんね。


開き直って我欲いっぱいに生きると今は決めた...!
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by marca-mia | 2005-07-04 12:27 | 思うこと・自分


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