“自由” を気づかせてくれた人


これまでの人生を振り返ったとき、
私はエネルギーロスが多いタイプなのかも知れない。と思う。

困難に遭ったとき、
大きな迷路の中で、遥かかなたのゴールを思って右往左往する。
すべての道を試さないと、ゴールに続く道を見出せない。
すべての道が障害物で阻まれていることもある。
障害をどうやったら取り除けるのか、
考え、試し、考え、試し、の繰り返しで自分を削ってしまう。
自分の力で、光明を見出したいとの思いが強い。

そんな私でも、すべての道が閉ざされたように感じるとき。

どうにもこうにも行き詰まったときだけ、信頼のおける人に占ってもらうことに決めている。

今までで占ってもらったのは2回。

その一度目が、運命的な出逢いだった。
23歳の半年間、私はある人によって闇の世界に押し込められてしまった。
(否、今思えば自分で好んで飛び込んだのだが)
ある日、ふと目にした鏡に
まるで死神が憑りついたかのような 腐った目をした老婆が映っていた。
その老婆が自分だと気づいたとき、冷や汗が流れた。

狼狽した。
と同時に私は切迫した感覚にみまわれた。
心が急速にものすごいスピードで走り出した。血が流れ、どくどくと脈打った。
胸の奥からざわざわと、もうひとりの自分の声がこだました。
「変わらなければならない!変えなければならない!」

でもどうしたら?
このどん底の状態から、どうすれば抜け出せる?
知恵の浅い私には、そのときの状況は蟻地獄のように思えた。

私の切実な思いを聞き届けてくれたかのように、
絶妙のタイミングで、ある占い師さんの存在が私に告げられた。
その当時の私は思考能力すらまともではなく、
八方塞がりの分かれ道の真ん中で、突然示されたもう一本の道を選ぶしかなく、
その占い師のTさんのもとへ行った。

その出逢いが私を救ってくれたことは、
私の人生が、土壇場のところでは運に恵まれていることの証のように思える。

Tさんは怪しい小部屋でランプを灯してではなく、
ご自宅の居間の温かいこたつに私を招き入れてくれた。
ごくごく普通の主婦だった。

ずっと落ち着いた笑顔で話してくれた。
叱り付けたり、恐ろしい未来を予言して脅すこともなく、
憔悴しきった私に、「私が今いるところ」を様々な角度から教えてくれた。

Tさんは霊能力もあり、
私の背中に手を当てて浄霊のようなことをしてくれた。
そのとき私が、閉じた目の奥に白い光を見たことを話すと、
Tさんは「あなたは、自分で(浄化することが)できますよ。」と言われた。

「今どんな気持ち?今どんな言葉が浮かぶ?」
私の胸に言葉が浮かんできたのを知っているかのようにTさんが聞いた。

私は答えた。
ついさっき、白い光とともに自然に湧きあがり、
心の中で叫んでいた言葉を、今度は声に出して...


私は自由だ!私は何者にも束縛されない!私は自由だ!


その瞬間から、すべてが動き始めた。
私を脅し、意のままに操り、けして自由にはさせないと言っていた「ある人」が
それまでの言葉を180度ひるがえす電話を自宅にしてきたのが、
まさに私が浄霊していただいていた時間だった。



私はそれまで、自分自身で「自分は自由ではない」と規定してしまっていたのかも知れない。



体も壊し、金もとられ、心に傷を負い、ボロボロの状態ではあったが、
私は、自由になった。
自由であることの素晴らしさを知った。


今、「自分は自由ではない」と感じている人たちに、
知ってもらいたいことがある。


形の上で自由を得ることと、ほんとうの自由を得ることは別なのだと言うこと。


私自身、あの頃一度気づいていながら、それをハッキリと意識化しなかったために、
結婚生活の中で、同じ過ちを繰り返していた。

その過ちとは、自分で自分を縛ってしまうということ。

他人の束縛から逃れることが先なのではなくて
精神の自由が先にあるということだ。

環境を変えることで自由になれたと思っても、
日々を過ごす中で、その「自分を縛る習慣」は、小さいながら、毎日積み重ねられていく。
不自由感を感じる頃には、それが自分でつくり出したものだとは 忘れている。

不自由感が積もり積もると、
それを蹴散らすためにはたくさんのエネルギーが必要になる。

私はそれを繰り返し、その度に、たくさんのエネルギーを消耗したと思う。



今はちょっと違った意識でいる。

自由であることに、もっと 日頃から意識的でいようと思っている。
「今の自分は自由でいるか?」を、日々チェックしている自分がいる。
ドロドロになってから大手術するのではなくて、
澱が溜まらないうちに、マメに浄化していこうと思っている。

そしていつか、あの気づきが、自然に身の一部になってくれる日を 心待ちにしている。


なんだか私は、自由になるために生きている、という気がするのだ。


もっともっと自由に。


もちろん、目に見える形で、どんどんやりたいことをやるのもいい。
必要なら、結婚生活の様々な制限から逃れて、新しい人生を始めるのもいい。
けれど、主婦のままでも、どこに住んでいても、できることだと思っている。
私の自由が、私に関わるすべての人の自由にも つながるものと信じている。


もっともっと自由に。

もっともっと。
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by marca-mia | 2005-12-17 23:48 | 思うこと・自分


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