ゆるされること(3)


人生は“ゆるされること”の繰り返しなんだと知る。


私が松本さんの本に出逢えたように
ひたすら前を見て歩く道の途中に
神様があらかじめ用意してくださっていたみたいに
ゆるされるときが訪れる。


私はキリスト教徒ではないので
はっきりと 神様にゆるされる という感覚ではない。

だけど、自分で自分をゆるす というよりは
“何か”に ゆるされた......そんな感覚を持つ。



きっと、世界中のみんなが私をゆるしてくれても
自分で自分をゆるせなかったら
救いはやってこないのだろう



一番最後には、私が残る。
みんながゆるしてくれても、自分自身が残る。
自分をゆるしていない 自分自身が。



どんな条件が整って、そのときがやってくるのか分からない。



自分で自分をゆるせない私に、
天使がそっと舞い降りるように、ゆるし をプレゼントしてくれる。



「自分をゆるします」と百万回となえても 得られることのない 安堵感を
何か大いなるものが もたらしてくれる。

ゆるされた...。という暖かい感情。



私にとっては、他の表現に変えられない感覚。

ゆるされた...。この言葉が、じんわりと、胸にしみこんでいく。
ゆるされた...。その泉が、喜怒哀楽とは別のところにある。




自分の中から湧いてくるようでいて
ひとりよがりとは 違う。




ゆるされることなど期待していなかったから
切に願って叶えられた...!という歓喜とも 違う。




ひとつひとつ

ゆるされていく。

そのたびに




ひとつひとつ

心が軽くなっていく。






私が過去の自分をゆるされたように
夫は自分をゆるすことができただろうか...?





私が性暴力の被害者であったように

夫もまた「男性性」という、目に見えない鎖に縛られてきた、いわば被害者だった。



心の広いパートナーであろうとして、
過去にこだわらない男であろうとして、



夫は自分の心に湧きあがる素直な感情を押し殺してきた。



これからは、夫婦の間だけでも、枠をとり払い、
自分の小ささも、愚かさも、笑って話せるような関係をつくり、
夫に自由になってもらいたい。
自分を解放してもらいたい...と、そう思う。




そんな関係の中でなら、夫はゆるされていくだろうか。




予想はできない。私にも分からない。




私が夫をゆるすのではない。

夫が、ゆるされるのは 私からではない。




私は 夫が ゆるされた と 感じられるその日が、

早く訪れますように と 祈るだけだ。





「ゆるされた二人」で 歩いていきたいんだ。
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by marca-mia | 2005-12-28 00:31 | 思うこと・自分


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