勝たなくていい


ブログを始める数ヶ月前のこと。


夫の不倫を知り、苦しみの中にありながらも、
「自分」と「夫」と「二人の間にあるもの」...を見つめ続けていた時期。
夫に対して、言いようのない苛立ちがつのってくることが度々あった。


自分なりに考えて、そんなときは、逆に夫に甘えてみることにした。


...不思議と苛立ちが消えて、心が落ち着いていくのを感じる。


苛立ちは、期待が満たされないことへの怒り...
つまり、依存心が生んだものだったのだと合点した。


寂しい気持ち、甘えたい気持ちを、
私から言わなくても、夫から察して、包んでほしい...。


不倫して私を傷つけたのだから、
私を思いやり、気遣い、抱擁するのは当たり前なのに...!そう思った。


なぜ私が、悪いことをしたあなたを求めなくてはならないの?
悪いのはあなたなのに、なぜあなたのほうから、私を癒そうとしないの?


夫の愛情を求めることで、夫を優位に立たせてしまうような気がした。



ふっと思い立って、その“負けん気”を捨ててみた。



頭では何となく見当がついていた、自分についての洞察が、
実際に相手に対してアクションを起こすことで、裏付けられるのを実感した。


その頃の私は、夫に対してまだまだ憎しみがあり、
憎んでいる相手から愛情が欲しい、という激しい矛盾の嵐の中でもがいていた。
甘えたい気持ちを、比較的「憎しみ」に近い「怒り」に代えることで、
正反対の感情を抱える葛藤を、無意識にやわらげようとしたのかも知れない。


自分の中の矛盾をどうしていいか分からなかった。


自らの感覚を通して、自分の心がひとつひとつ解体されていくにつれ、
矛盾しててもいいのだと思えるようになった。
人間というのは、矛盾を抱えた存在なのだと知ることができた。



両極端な感情が、たった一人の自分の中に共存するのを許すことができた。



無駄なことも含め、
何でもいいからやってみよう...!と必死で試行錯誤していたこの時期、
この発見は、ひとつの収穫になった。


パートナーに苛立ちを感じるとき、
「良い/悪い」「正しい/間違っている」
という論理で二人の関係をはかろうとしても、そこからは何も生まれない。


仮に、どちらが正しいかの結論を導き出したとしても
決して心は満足しない。
心は、正しいと言われて喜びはしない。


「甘え」がねじれて「怒り」を生むとき、
怒っている相手を、誰が抱きしめてくれるだろう...。
怒りを鎮めるために「あなたの言い分は正しい」とでも言うしかない。
心は、ほんとうは甘えたがっていたのだから、「正しい」と言われても、満たされはしない。


「良い/悪い」「正しい/間違っている」を云々することは、
心を、白か黒かのどちらか一色に塗り固めてしまう。


「良い/悪い」「正しい/間違っている」の論理は、
本来は、矛盾を含めて包み込めるはずの、広く果てしない人間の心を
狭くるしい小部屋に押し込めてしまう。



自分の心が何を欲しがっているか、よくよく見つめてみよう...奥底まで。



今、私は以前では考えられないくらい、夫に甘えている。
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by marca-mia | 2006-01-10 10:56 | 思うこと・夫婦


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