見守ること 祈ること


不思議なことが起こった。


数年前から、周りの心配をよそに
大人とは言えない行動を繰り返していた友人のTちゃん。

幾度となく対話する中で、
彼女の口から出てくる観念的なもの言いが
全て自分の行動を正当化するためにだけ役立っているのを感じていた。

自分の人生、やりたいようにやる。
やりたいようにやるのは構わないけど、彼女の場合はその過程で人を傷つける。
横から口を出す人は、彼女にとっては「邪魔な人」

周りの非難が高まるにつれて
彼女に正しいことを教えてあげたいような欲求が膨らんではいた。

皆も言う。

marca、彼女に言ってよ。
彼女はあなたを信頼してるみたいだし、
あなたの言うことなら聞くと思うからさ。


だけど、私は言わない。

彼女は今、耳が閉じてる状態だからね。
その人にはその人の、タイミングがあるしさ。
友達としては、耳が開くまで見守りたいと思うよ。



私にとって、一番身近な夫だって、そうなのだから。



誰も自分の人生を歩む 道筋もテンポも、人に決めてもらいたくはないだろう。



あなたはこうあるべき、と言われて嬉しい人なんかいないだろう。
そこに、どんなに善意が込められていようとも
本心から、その人のために言ってあげた場合でも
言われたほうは(今のあなたではダメ)と言われたような気分になる。


ともかくは、定期的に会って話をする。
彼女の話すことは、私には肯定できないものばかりだけど 聞くだけならできる。


相槌を打ち、一緒に美味しいものを食べ、自分の話も少しする。
強気な彼女は、私の話を「評価」してくる。
その様子から、彼女がどんな状態にあるのか、ひしひしとこちらに伝わってくる。


少なくとも、幸せじゃ、ないんだなぁ。

きっと何か、満たされていないんだなぁ。




そんな彼女が、数日前メールしてきた。


今までの自分の生き方が、情けなくなった。
私は嫌なことからすぐ、逃げて、逃げて。
気に入らないことがあると、相手をはねのけてきた。

marcaは、辛いことがあっても前向きに乗り越えて、
その度に人との絆を強くしているよね、それって、すごい。
私には、何もない...。




「会おうか?」と返事した。



カフェで向かいあった彼女はまるで憑き物が落ちたように
力の抜けたいい顔をしていた。

幼い頃から可愛がってくれた叔母さんが亡くなったのだという。


今まで、一人で、生きてると思ってた。
でも違ったんだ。
人は自由だし、孤独だし、自分は自分、それでもいいけど
でも、けっして、自分だけでもないんだ、それが分かった。




私はうなづくだけで良かった。


何の説き伏せることもなしに 彼女は変わった。


私も自分のことを話す。
彼女もうなづく。
交互に話して、交互にうなづきあった。



家に帰ってからメール。
「今日は、しみじみしたね^-^」


私がしたことと言えば、彼女が幸せになりますようにと祈っただけ。


少し前なら、やきもき、イライラしていたに違いない。
落ち着いて見ていられるようになったということは
私も少し大人になったのかな?


なんだ、こんなに、人生って省エネで生きていけるんだ。


今まで、浅瀬でもがいていたのが、
急に足がついたような 不思議な感じがした。
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by marca-mia | 2005-07-23 11:30 | 思うこと・自分


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