愛は......かもしれない。


今日、ふと思ったんだ。
私は損得にとらわれていたんだな~って。


もらうことばっかり考えて
与えるばかりじゃ損のような気がして。


けれど、愛は無尽蔵にあるんじゃないかなって思ったの。
愛は無尽蔵だっていう その思いつきを
私の無意識は必死になって抵抗していたんじゃないかって。


すべては「カモシレナイ」の世界だけど。
なかなか面白い「カモシレナイ」だと思った。
心の中に電球が灯った感じ。
(漫画なんかでアイディアがひらめいたとき、電球が灯る、あんな感じ^^)


人は、愛する生き物。
愛は枯れない。
愛は 与えても与えても なくならない。(カモシレナイ)


もしかして、この「カモシレナイ」をとってみたらいいんじゃない?
本来人間は愛にあふれているんじゃない?
足りないような気がして、ちょうだいちょうだいって言ってきたのは
実は大いなる錯覚だったんじゃない?


与えたら、愛の電池がなくなってしまうと思い込んでいた。
違うんじゃない?


神様は、ちゃんと私の体を通して、
メーターがゼロにならないように
ずっとずっと愛を補給してくれる。送りつづけてくれる。(カモシレナイ)


そんなこと 確認するすべなんてない。
確認できないもんだから、否定してきたのじゃない?
ずっと「カモシレナイ」をくっつけて、信じようとしてみなかったんじゃない?


ならば、ほしがるのをやめてみるか。


ほしがる行為が 不安をかきたてて、
「愛は有限だ」という思いを補強してきてしまったのカモシレナイから。


アルコール中毒の患者は、
ほんとうに欲しいものを、アルコールにすりかえる。
お酒を飲んで、満たされたように錯覚する。
錯覚にすぎないものは、一時的な陶酔をもたらしても、すぐにまた不安を呼び起こす。
不安になってまたアルコールに救いを求める。


私たちが、愛と呼んでいるもののうち、
どれがアルコールで、どれがほんものの愛だろう?
ほしがって、与えられたものは......違うカモシレナイ。


もしかしたら...。


この世に、私という存在が生まれたときから


ずっと それは ココにあって。


私の目が曇っていたせいで、視界に入らなかったのカモシレナイ。



欲しがらなくても、求めなくても。


私は、無限の 無条件の愛を 持っていた...!カモシレナイ!?




だとしたら......どうする?



カモシレナイ......取ってみる!?
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by marca-mia | 2006-03-17 20:51 | 思うこと・自分


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