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聞くために


相手の話を聞く。

これは、実はとっても大変なことだ。


「そうよね。話を聞くのは大切よね。」と頭で分かっていても。
「話を聞けばいいのよね。」と簡単なように思えても。


では、実際に相手の話を聞いてみようとしたときに


・聞いてるつもりで聞いていない とか、
・聞いているのが辛くて、相手の気持ちに寄り添えない


ということが起きてくる。



私は、夫との相互理解を得ようとあれこれ模索していた時期に
「プロカウンセラーの聞く技術」という本を読んで、とても参考になりました。
(↑ライフログに掲載しています)


“聞く”ということは、生半可ではなく、
徹底して相手の話に耳を傾ける...そんな態度が必要だということ。


相手が“聞いてもらっている”という実感を持てるためには、
相手の発言を 無用にジャッジしないこと。


これらを頭に叩き込みましたが、
それでもなお、夫との対話にのぞむと、
それを実践することの難しさを痛感しました。


この本には、実践的な“聞く”ためのテクニックも紹介されていますが、
実際に感情のもつれた二人が向かい合ったとき、
そんなものはどこかへ飛んでしまいます。
それよりなにより、
“聞く”というそれだけの行為を貫くことに
大変なエネルギーを消耗します。


“聞く”という行為に、
それを貫くだけの価値がある と信じられなければなりませんし、
信じられたら、今度はその、信じる気持ちを保たなければなりません。


相手の話の内容が、自分にとって辛いものだった場合
聞きながら、口をはさみたくもなるでしょうし、
反論したい気持ちや、投げつけたい感情が湧いてくるかも知れません。


そのときに“聞くことの価値”を思い出せるかどうか。



ブログをやっている人は思い当たると思いますが、
自分の気持ちを吐き出し、それを受け止めてもらうことは
とても心癒されるものです。


心が癒されると、受け止めてくれた相手のことも
大切にしたいという思いが湧いてきます。


実生活では他人に話せないような思いを
ブログで綴っている人が多いということは、
誰もが100%ではないにしろ、
気持ちを吐き出せるという、そのことには、
とても大きな価値があるからなんだと思います。


そしてその価値は、誰にも読まれないただの日記ではなく
誰かが読んでくれるブログだからこそ、大きく膨らむのでしょう。


目の前にいる相手に、同じ癒しを与えたいと、
自分自身が辛く苦しい、向き合いの最中に思えるか。


それは、相手の状態にも、自分の状態にもよるのでしょうし、
できないときはできない。
それはもう、しょうがないことだと思います。


ただ、気持ちをちょっとそっちの方に向けておけば、
いつかは必ず“聞く”ことができるはずだと私は思います。


最初は、なんでもないとき、一人でいるときに
「今度は相手の話を聞こう」と思う。


いざ、相手を前にしたらできなかった...そんなときは
「次の機会には聞こう」と省みる。


何度かそんなことを繰り返したら、
「せめて自分に余裕のあるときは聞こう」と心に決める。


そしていつか、相手が話し出したそのときに
「今、聞こう」と思えるときが、必ずくると思います。


人に話を聞いてもらって、救われた経験のあるあなたなら、
その価値を知っているはずだから。


その価値を知っているということは
その価値を信じられるということだから...。


どうしてもうまくできない。
自分を抑えておくことができない という、そんなとき...。


もしかしたら、そんなあなたには、
自分自身が先に“聞いてもらうこと”が必要なのかも知れません。


そのときは“伝えること”が必要になってきます。


次回の記事では“伝えること”について、
私がぶちあたった壁や、感じたことについて 書きたいなと思っています。
by marca-mia | 2006-04-01 23:09 | 伝えるために・聞くために


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