「よい奥さん」という幻想


伝えるために を書いている途中ですが、
あることがきっかけで、ふつふつと湧いてきた思いがあるので
ここに記しておこうと思いました。
色々混ざってしまってすみません^^;










配偶者に不倫された人が

「自分にも反省点があった」
「夫の不満に気づかなかった」

と考えて、夫の望む「いい奥さん」になろうとする。
そんな話をよく目にします。


マスコミなどの影響も手伝って、

「家事育児に疲れて髪ふりみだしていたが、身ぎれいにしているべきだった。」
「夫は私に“女”を感じなくなって不倫に走ったのだから、女らしくしなければ。」
「家庭を安らぎの場にしてあげられなかった。もっと夫に気を遣い、尽くさなければ。」
「一歩さがって夫をたてる かわいい妻でいなければ。」
etc....etc....


どこかで聞いてきた「よくある価値観」に身を委ねようとします。


それは無理からぬこと。
不倫されて、自分の女性としての価値や自信なんて、こっぱ微塵になっているのだから...。
自分の置かれた状況を分かりやすい公式にあてはめてしまいたくなるのも
当たり前と思います。
それに これらの公式の中には、ある角度で見れば、真実も含まれている。
形から入ることで一足飛びにその真実に辿りつきたい、その焦りはよく分かります。


ただ...問題の根本は、きっとそれだけではないのだと思います。


生活を整えるのは素晴らしいことです。
キレイになろうとするのも素敵なことです。


でも、その行為が、不安に裏付けられたものか、そうでないかの違いは
とても大きい...と思ったりします。


私も、ちょっと神経質なくらい無理をしていた時期がありました。


夫が、不倫をした原因として、私に対して不満に思っていたことを挙げるとします。
そうすると、私はそれに対して200%の出来で応えないと気が済まなくなるんです。
夫が望む、さらにその上をいかないと不安だったのです。


どうですかー!私がんばりましたー!
あなたはこうしてもらいたかったんだよね?
このくらいやれば満足でしょうか...?
これでいいですか...?
足りないところはないですか...?
嬉しいですか?あなた...?
喜んでくれますか...?
これで「もう不倫はしない」と言ってくれますか...?



あの頃の私は「焦燥感」で動いていました。
「こういう私でなければ愛されない」という焦燥感です。


闇雲に夫が望む妻像を実現していきながら
何か違うな...という気持ちがいつもありました。


私は世間一般で言う「よい奥さん」からはほど遠いですが
「裏表のない妻」ではあると思います。
それが自慢になるかどうかは別として、形だけの奉仕ができるたちではないのです。
夫が私に対して形だけの奉仕をしたら、それも嫌です。


夫といて、一番心地よくいられる状態を模索していく中で、
私はどこかの時点で、
「世間一般の常識に従うのではなく 自分の心に、自分の感覚に従おう。」
と決めたのだと思います。


自分に対する、手垢のついた価値観が削ぎ落とされていくにつれ、
夫に対して自然と「やってあげたい」と感じることも増えてきました。
「ここまではがんばる」「これ以上はがんばらない」という境界も、
自ずと分けられるようになってきたと思います(かなり甘甘な気もしますが^^)。


仲良し夫婦の形だけを 構築していこうとする夫の姿勢を受け入れてみて
自分がほんとうに求めているのは「心のやりとり」なんだと気づいたのです。


心を暖めあった結果として行動が表れる。
相手の心を暖めたくて、その手段として、心地よい環境を作ってあげる。
そんなとき、心に無理は生じないのだと思います。


お互いの生活習慣は、
そう極端なものでない限りは 双方が歩み寄る問題であって、
どちらかが一方的に相手の気に入るように努力するということとは違います。


そのへんを見誤ってしまうと悲劇です。


信頼していた相手に一度でも裏切られると、
裏切られた側は、心の奥で「これは自分への罰だ」と思ってしまうようです。
もう罰を受けたくないという思いが、焦燥感になり、
とにかく分かりやすいところから、手をつけずにはいられなくなります。
不倫を誘発するような自分の落ち度を、
ひとつ残らず埋めようとせずにはいられなくなります。
それだけ自分に自信を失っているんですね。


不倫したことを、した側の人が振りかざして、
「また裏切られるかも知れない」という相手の不安な気持ちを利用し、
「また罰を与えるぞ」と心理的な脅しをかけて
モラル・ハラスメントの様相を呈していくことがあります。
その力関係が日常に浸みこんで、取り返しがつかなくなる前に、
自分のしていることの動機を検証してみてください。


よくある公式に身を委ねきってしまうと、
「こうしていれば夫は不倫しないはずだ」と、夫婦関係がマニュアル化されてしまったり
「これをやめたら夫は愛してくれないんだ」という不安を新たに増やすことになります。


自分の心が抱えている砂漠が潤っているかどうかを 確かめながら進んでください。



ときどき、逆の関係も見かけます。
 


不倫された人が被害者の立場を振りかざして、
不倫した人を奴隷扱いしてしまうケース。


裏切られ、傷つけられ、辛い思いをさせられたのだから、
相手が従うのも当然...一生尽くしてもらっても足りない...!
そう思ってしまう気持ちも、理解できます。


不倫されたら、心に黒く大きな穴があきます。
ある日突然、平地だった地面が陥没し、
死火山の火口のような、荒涼とした大きな穴が姿を現します。


ショック状態を過ぎると、経験したことのない愛情飢餓感が押し寄せ
果てしなく相手から搾取せずにはいられなくなります。
飢餓感ゆえに、全身が口と手の怪物になってしまいます。
奪い取っては食い尽くす行為に、歯止めがきかなくなります。


なんとなくですが、こんな風になってしまうのは
家事育児をきちんとこなし、身なりにも気を遣い、まめまめしく夫の世話をしてきた、
いわゆる「よい奥さん」に多いような気がします。
自分自身に、目に見える落ち度がないために、
一体何がいけなかったのかと心がパニックになってしまい、
相手を「自分に償うべき加害者」であると規定することでしか、
自分を保てないのかも知れません。



どちらのケースも「よい奥さん」幻想が悲劇を生んでいると感じます。


きっと「よいダンナさま」幻想もあるのでしょうね。


何度も書いていることですが、自分という1人の人間の幸福を追求していくことで、
他者との関係も、幸福感を生むものに変わっていけるのだと思います。
たとえ目に見える行動が同じだとしても、
その中身(=2人をつなぐ絆のやわらかさ。愛が双方に流れているかどうか...)
を、大切にしてほしいなと思います。



「よい妻」「よい夫」というモデルパターンを追いかけて
「ほんとうの自分」から遠ざかっていくとき、
その人は魅力的ではありえません。
配偶者が、たとえ言葉で何を言ったとしても、
大切なパートナーが魅力的でない状態を求めるでしょうか。


表面的な要求の奥にあるものを見なければと思います。



「妻たるものこうあるべき...」そんな無言の重圧が 私をどれだけ追い詰めたでしょうか。


愛を乞うためにする努力は、その人自身を癒すでしょうか。
愛を乞うためにする努力は、ほんとうの意味でパートナーを満たすでしょうか。


どんな場合でも、
自分がそれをすることによって幸せを感じるかどうか...に
敏感であってほしいと思います。



心を通いあわせることを置き去りにして
理想の夫婦を演じていくことは、
仮面をつけて、幸せなフリして生きていくことです。
ここがゴールだと思ってしまったら、その先の可能性はありません。


満足感を求めていいのです。
何が足りないのか...または何が余計なのか...
考えるのが辛くなってしまうかも知れませんが、そんなときはどうぞ休んで。


そのときどきの 自分の衝動に従ってもいいけれど、
ひとつの行動の中毒にならないで。
ひとつの考えに憑依されないで。



一杯のお茶を、夫のために、愛情たっぷりに淹れて上げる。


そのひとつの行為にたどりつくまでに、
何ヶ月もの遠回りをしたって いいと思う。
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by marca-mia | 2006-05-12 12:31 | 思うこと・夫婦


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