伝えるために(8) ~2人は対等~


不倫のあった夫婦は した側の方に、目に見える罪があり、
された側も 復讐心を駆り立てるほどの傷を、心に受けています。


不倫のような大きな問題が起こったからこそ
夫婦の関係を根本的に見直すきっかけになったという面もありますが
不倫があったばっかりに、本来対等であるはずの夫婦が
傷つけた側と 傷つけられた側に まっぷたつに分かれてしまいます。


傷ついた人は、責め、嘆き、怒り、泣きます。
それは人間として自然なこと。
ある程度の期間は、心のままに責めて、怒って、泣いていいと思います。
(配偶者が不倫相手と完全に切れていることが前提ですが)


それは、自分の身に起きた、あり得るはずのない事実を受け入れ
信じていたものが覆されたショック状態から、
少しずつ回復をはかる時間なのだと思うのです。


人により時期は違うと思いますが、
過去を振り返っては悲しんでいる自分に だんだん嫌気がさしてくると思います。
かと言って、
何ごともなかったように、すんなりと仲良し夫婦するのも何か違うような気がする。


今まで信じていた相手の人格が 数々の嘘によって粉砕されてしまった。
それでも、この人と一緒にいたい。


これからも一緒に生きていくために、
あるいは、一緒に生きていけるのかどうかを知るために、
もう一度、この人の人間像を、今度は正直さを軸にして、確かめたい。
そんな気持ちが生まれてきます。


ほんとうのこの人を知りたい。
ほんとうの自分を知ってもらいたい。


そこから、対話が始まるのだと思います。









前回の記事で書いたように、
私の必死の説明に対しても 夫の態度は否定的だったわけですが、
では、説明したことは全くの徒労だったのか...というと、そうではなかったみたいです。


口ではなんだかんだ反論していた夫も、
私の一生懸命な訴えは、心の隅に残っていたようなのです。
それはその後の夫の、態度のはしばしに表れていました。
(夫自身は、自分の変化を意識していない様子なのですけど。)
どうもその場では 私の主張を受け入れたくないみたいなんですよね。


きっと夫は“marcaの助けになりたい”という思いと、
自分のプライドとの間で、ものすごく葛藤したんだろうと思います。


私は、夫のその場の反応に あまりこだわりすぎないようにして
自分が自分に合格点を出せるような伝え方ができれば、それで良しとすることにしました。


分かってもらいたいのは、自分の気持ち ただそれだけなんですよね。
それは、その場の一時でもいいから、
“自分の目線に寄り添ってほしい” ということなんだと思うのですが、
こればっかりは、相手が自発的に歩み寄ってくれて初めて 実現することかなと思うのです。
相手を理詰めで論破して従わせたところで、気分が悪くなるだけなんですよね。


だからただ伝える。
そして、こちらが伝えた事に対する相手の反応を制限しない。
相手の反応に不服を言いつづけたら、
私の夫のような繊細な人は特に、余計に身構えて混乱してしまうと思いました。
夫の過剰な反撃が、傷つくことを恐れるあまりの 身構えから来ているのだとしたら、
その恐怖心をとってあげれば、本来の優しい夫が顔を出してくれると信じました。


私と夫は違う人間で、色んな部分で感じ方が違う。それは仕方のないことです。
でも、今までに 自分を見つめてきて得られた気づきは、
男女の差を超えて、同じ人間である夫にも 当てはまるものだと考えました。


心の奥の奥の部分では 私たちは同じなんだと、自然と信じられたのです。


面白いのは、その“同じ部分”にたどりつく過程では、
お互いの違いを認める必要があるということです。


夫の話を聞きながら、人間関係の精妙さ、完璧さに、驚きを感じました。



・自分の気持ちを伝えること
・相手の気持ちを聞くこと


今振り返れば、私は この二つだけを一生懸命にやり、
それ以外のものを寄せ付けないよう、心を配っていたのだなぁと思います。


優劣や正誤の概念を対話の中に持ち込むと、
それを争うことで、勝者と敗者が生まれてしまいます。
対話が対立へと発展してしまうときは、
どこかの時点で、この概念が入り込んでいるのだと思います。



「お互いの気持ちを伝え合ったら、不仲につながる。」それが夫の言い分でした。
自分が責められているように感じてしまう という被害妄想もあったでしょうが
“対立でない対話”のイメージが、夫の中には無かったのだと思います。


私は、そうでない伝え合いを実現したいと思いました。


ぶつかりあうのも必要
ケンカも必要


それは、その先にある“対立じゃない対話”にたどり着くための糧だから。
怒号や、涙も、全部 糧です。
その後で省みる時間さえ持てば、相手と自分の すべての態度が 糧になります。


私自身、何度も何度もぶつかったから、
何度も何度も失敗があったから、その中から、反省点を多く得られたのだと思います。


夫婦なんだから言わなくても分かるとか
以心伝心とか阿吽の呼吸とかいうそんなものは、
押し黙ってお互いの腹を探り合った先にあるんじゃない。
素直で裏表のない、伝え合いと受け入れあいの 積み重ねの先に、あるものなんだ。
そう信じました。


夫が主張していたのは、同じ対等な関係でも
心を閉じて、傷つけあわないよう 自分の周りに壁をつくる、消極的な対等関係。


そこにはもう、限界を感じていましたし、
そんな夫婦でいるくらいなら、離婚して再出発するという腹は決まっていました。
腹が決まっていたからこそ、夫から嫌われることを恐れずに
とことん頑張れたのだなぁと思います。


私が目指したのは、お互いに心を開き、ゆるし合う 積極的な対等関係でした。


夫の話を聞くだけで、自分から自己主張をしなかったら、
それは飽きるほど繰り返した我慢生活の再現でしかなく、
嫌らしい自己犠牲になっていたと思います。



夫に話させよう。
...その代わり、私も話すぞ!



対話に臆病な夫を、私はこうして追い込んでいったのかも知れません(笑)



けれど、それまで肩に力が入りっぱなしだった2人が“ある線”を越えたとき、
お互いが 急速に楽になっていくのを実感しました。
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by marca-mia | 2006-06-03 03:20 | 伝えるために・聞くために


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