親とか子とか(2)


前回の記事で、負の連鎖の話をする前に
私は下のような問いかけをしました。


人間は 愛情を期待した人(=親)から受け取れなかったとき
そこで生まれた飢餓感を他人から埋めてもらわなければ
満たされることはないのでしょうか。


相手を変えては 期待し、裏切られ、期待し、裏切られ...
その繰り返しで生きていくしかないのでしょうか。


私の今の思いを 結果から書いてしまうと
どちらの問いに対する答えも“NO”になりそうです。










つい最近までの私は“血のつながり”というものを
とても鬱陶しいものに感じていました。


親子の絆とか情とか、
お腹を痛めて産んだ子だから...という一体感のようなものは
そのほとんどがエゴのように感じられて
ときどき 吐き気を覚えていました。


もちろん、妊娠・出産というものは素晴らしく神秘的で
激烈な体験であろうと想像しています。
妊娠・出産に悪いイメージがあるわけではありません。


母親は命をかけて子供を産むわけで
その行為自体は、とても尊いものだと思います。


母親は子供に 自分の血肉を分け与え、自分の栄養を分け与える。


ものすごいことです。
ものすごいことだと思うけど でも...。


気持ち悪かったんですよね。
その分かちがたい、肉の絆というものが。



母の私に対する振る舞いを見て、いつも思っていました。


母があんなに、私たち娘を思い通りにしようとしたり
自分の描く軌道から私が少しでも外れると、激昂したりするのは
そもそもが

親子だから、子供は自分と同じように考え、行動するはずだ

という思い込みによるものではないか...?と。


そしてそれは「血がつながっている」という事実によって
強化されているのではないか...?と。


母には 自分と他者との区別がついていませんでした。


子供の命は、母体の中で始まります。
母は、その頃の一体感をひきずっていたという事もあるでしょうし、
母性の悪い面が出て、過剰に私を保護したくなり、
枠の外に出ることを許したくなかったのでしょう。
何よりも、娘をコントロール下に置くことで、密着していたかったのでしょう。


私は、そんな母の 依存とも執着とも思える「親心」が恐ろしかったのです。



特に思春期以降は、血のつながりが いっそう邪魔なものに感じました。


血がつながっていなければ、娘を一人の別の人間として見てくれたはず。
血がつながっていなければ、娘を理解しようと努力してくれたはず。
血がつながっていなければ、信頼関係を一から作ろうとしてくれたはず。
血がつながっていなければ、先入観のない目で私を見てくれたはず。


そう思えば思うほど、
自分が「この人から生まれた」ということがまとわりついて離れず、
その事実に からめとられていくようでした。


結婚後、子供をつくろうとしない私たち夫婦に
母は「自分の子供は特別。自分の子供ほど可愛いものはない。」
と幾度となく力説しました。

私はそれを聞くと、なぜだか背筋がゾォーッとしたものです。




母はずっと、幻想の中にいたのだと思います。


子供を産めば自動的に 愛に溢れた完全な親になれるかのような幻想
娘を前にして湧き上がる、強い感情こそが「親子の愛」なのだという幻想


幻想の中に生きている母が、ずっとずっと恐かった。
ほんとうは違うのに...!って、ずっと思っていました。


でも、この歳になって...というか、
このブログの中で、何度か母のことを書いていくうちに
母子関係に対する視点が、変化してきたのを感じています。



今までの私は、母のこととなると どうも近視眼的になってしまって、
広い視野で「二人の問にあるもの」を捉えることが なかなかできませんでした。


親子幻想にどっぷり浸かっているのは母だけで、
私自身は、その母の姿を客観的視できていると思っていました。
それどころか
自分はそんな母に振り回され、苦痛を与えられたと感じてきました。


でもこの頃 “それは違うんだよなぁ...” と、考えるようになってきたのです。



母の言動に振り回されていること自体が
私も母と同じ 幻想の世界に住んでいることの証だったのだと 気づいたのです。


「血がつながっている」という事実に 過大な影響力を与えていたのは
母だけでなく、私もだったのです。


私自身が「母から生まれてきたこと」に大きな意味を持たせ
母親の歪んだ愛情に、報いなければならないように感じてきたし
また母にも 多くを求めていた。


親子という関係に過剰に期待し、
母からの 無償の愛情を求め続けてきた。
期待するものが最初から大きいから、
それを裏切られることで受ける傷も 大きかったのです。


自他の区別がつかなかったのは、私も同じだったのです。



そのことがだんだんと意識化されてくるにつれ、
母のことを「私とは違う人=他人」という目で見られる瞬間が増えてきました。


二人の境界がハッキリしたら
ちょっとだけ 心もとないような、寂しいような気もします。


でも...苦しみもどこかへ消えて 自分が身軽になるのを感じています。



悪者探しは終わったみたいです。



悪者探しをしなくなったら、
より多くのものを母から受け取れるようになったなぁと感じています。



(3)に続きます。
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by marca-mia | 2006-12-05 20:00 | 思うこと・自分


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