親とか子とか(3)


「私の子供なのだから、あなたはこうでなければならない」
「私の親なのだから、あなたはこうであるべきだ」


私たち親子は、長い間 そんな関係であったと思います。


母は私が、そこから外れることを許さない
私は母が、そこから外れると傷つく


お互いに、要求する姿が前提にあるから 怒り、傷ついてきたのでしょう。


けれど、一歩ひいた目で見ると...。


「...ねばならない。」とか
「...であるべき。」という言葉は、愛を表現するには不似合いですね...。


愛は、強要して得られるものではないのに。
愛が欲しいはずの私たちは
「愛のようなもの」を奪い取ることに熱心だったのかも知れません。











私の愛情飢餓感のモトをたどれば、母に行き着きますが
今、母を前にして「私を認めてよ!」という 切実な感情はなくなりました。
もちろん、「できれば、ありのままの私を認めてほしいな」
という気持ちはありますが、一方で
できなければできないで良いや~みたいな気持ちもあるのです。


母を軸にして考えれば、
他人である私のために、無理して自分を捧げてほしくないなぁと思うんです。
今現在、母が私を認められないとしたら、
認められる力が無いからなんだと思います。
いいとか悪いとかではなく、ホントに、ただ単にそうなんだなと。


その代わりに思うのは
母のとびきりの笑顔を見たい。
母に幸せになってもらいたい。ということ。


他人の言葉や態度で浮き沈みするような幸福感でなく
母自身の内側から自然と湧き出る幸せを感じ、
それに浸ってくれたら、私も幸せだなぁ~と思います。


考えてみれば、私の前で心からの笑顔を見せてくれるということは
私と一緒に居て楽しい という、メッセージになるんですよね。
そのことによって私は「自分に価値が無い」という思いを抱かずにすみます。


その逆も同じで、
私は無理をして母を笑わせようとしなくて良いんだなと思います。
自分を犠牲にして母を気遣ったとしても、
母は心の奥の深いところで、それを感じとるはずです。


そう思うと、そもそも自分が求めていた愛とは何だったのだろう...?と思います。



以前、どなたかのコメントに応えて 私は次のように書きました。


... 私のしてきたことは、母をほんとうの意味で幸せにはできなくて、
むしろ逆効果なことばっかりやってきたかも知れないな、と思うんです。

自分の幸せをきちんと追求することが、
他人の幸せにもつながると信じているので、
それを真剣にやってこなかった、という意味なんですけど...。



私自身が書いたこの言葉は、
書いたその時は 漠然とした予感のようなもので
まだ、頭で分かっているだけでした。
母との実際のやりとりの中で体感したものではありませんでした。


あれから1年余りが経って、母とも対話の時間が持てた今は
上の言葉に 少し実感が伴ってきたように感じています。


幸せとは...一人一人が自分自身で、自分の中に見つけていくもの。


他のことはともかく、幸福の追求ということに関しては
他人は介入できないのだと思います。


幸せは、
他人が私の為に持っていてくれて それを与えてもらう...というものではなく、
自分の中にあって、自分にしか探れないもの。


いわば、神様が自分の為にこしらえてくれた
完全オーダーメイドとも言えるものなのだと思います。



ここでさっきの疑問に戻ります。
そもそも自分が求めていた愛とは何だったのか...。



この答えとして、最近思いついて気に入っているのが
「愛とは、幸せを配る行為」なのじゃないかな~という考えです。


この「幸せを配る行為」とは
「幸せを他人に求めることをやめること」であり
「自分自身が幸せになろうとすること」であり
「幸せを体現し、その姿を周りに見せていくこと」なのだろうと思います。


これは「愛を学んでいく道のり」とも いえるかも知れません。


どの段階にあってもいいけれど
ベクトルが、他人から自分へと変わることが大事なのだろうと思います。


これは「ひたすら自分をいじめよ」ということではなくて
自分だけの基準を持っていていいんだということ。
一人一人に、しっくりと馴染む「幸せの基準」が必ずあるのだと、
根拠は無いけど私は信じています。




大人になった今、母も私も、同じ一人の人間...、
宗教的な言い方をすれば、全ての人間は神の子であり、
母とか娘とかの役割をもって
母に神様の役目を負わせるのは酷ですね...。


母は、生まれてからの十数年を、ともに暮らした人であり
母自身、愛に飢えた人でした。


だけど、それを私が埋めなければならないのでもなく
母が私の心を満たさなければならないのでもなかった。



まず 私から、手を放そうと思います。


母の負荷をとってあげて、母を身軽にして、
母自身の幸せに向かわせてあげたいと思います。






ううん、向かわせてあげる...なんていうのは、傲慢ですね。



だって、実は反対かも知れないから。



私が今こう思えるようになったのは、
母がどこかの時点で手を放してくれたから...なのかも知れないですものね...!^-^
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by marca-mia | 2006-12-17 22:58 | 思うこと・自分


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