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秋が好き


うーんと小さな頃から秋が一番大好き。

この前美雨さんとのやりとりでも書いたけど、
紅葉の季節は気も狂わんばかりの幸福感に包まれる。

バセドウ病を患って仕事をやめたとき、
まだ夫も元気で毎日のように仕事に行ってたこともあって、
昼間はせっせと都内の庭園めぐりをしていた。

バセドウ病は、かかった人なら分かると思うけど、
じっと座っていても、体の中は100m全力疾走したときと同じ状態。
だからちょっとそこまで、と散歩に出ても帰れなくなってしまったり、
半歩ずつのヨチヨチ歩きでしか歩けないこともあった。
でも家で安静にしていると体力が落ちてしまうようで怖くて、
雨降りでなければなるべく散歩するようにした。

どこへ行っても、少し歩いてはベンチや岩に腰掛けてたっぷり休憩する。
おにぎりとお茶を持っていって、紅葉を眺めながらほおばる。
私は一人でそうやっているのは全然苦にならない。
むしろ一人の方がやすらげる。

東京には庭園が多い。
権力や富を持つ人が昔から集中して住んでいたこともあって、
もとは個人のために作られた庭園が多い。
あちこち訪ね歩くうちに、私はそういうところが大好きなんだということが分かった。
もともとの丘陵を活かしながら、そこに人の手を加えて作り上げた庭園。
その家の主人を喜ばすだけの目的で、
人が安らげる究極の造形美を、自然の力を借りて形作った作品ともいえるもの。

こういう点は、私の田舎とは決定的に違う。
田舎に行くと手付かずの自然の美しさがあるけど、
庭園の美しさには人間の美学が練り込まれている。
自然の気に入った部分だけを選りすぐって集めたような粋がある。

偶然を装った松の枝振り。
バランスよく配置されたモミジ。
わぁ、綺麗、と溜め息をつくとっておきの場所に、
これまたさりげなく、腰かけやすい平らな岩があったりする。
そんな洗練された空間が私は大好き。

いつも庭園に行くと、お年寄りが何人かいて、
必ず句帳かカメラを手に園内をまわっていた。
私はその頃は写真を撮るより、ぼーっと眺めている方が好きだったけど、
病気で体力が衰えていたこともあって、
お年寄りの世界を疑似体験させてもらっていたなぁと思う。

幼い頃から 陶芸や盆栽などの 渋いものを観るのも大好き。
秋の美しさ はかなさと、日本の美って調和するような気がする。

縁側でお茶を飲む可愛いおばあちゃんに早くなりたいと思っていた。
(原ひさ子みたいな。)

去年は精神状態がドロドロで、
外側の世界が全く目に入ってこなかった。
気がついたら、大好きな秋が過ぎ去っていた。

だから今年の秋は、
2年ぶりにめぐってきた秋のように感じて、余計に嬉しい。
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by marca-mia | 2005-09-30 10:44 | 好きなもの

埋められない時間と距離


皮肉なことだが、
母と離れて上京した私は、みるみる体調が良くなった。

夫との出会いがあり、
様々なことを経験し、
2年の同棲期間を経て夫と結婚したのは、丁度上京10年目。

結婚して2年ほど経った頃
私の体が、再び奥のほうからきしみ始めた。

今思い返すと、母との関係を夫との間で繰り返したような感じがある。

相手の気持ちの受け皿になってしまう。

余裕で受けられるほどの器があるか、
受け流すすべを知っているのなら良いが、
受けて溜め込んで腐敗させてしまう。

腐敗していたものを吐き出していく過程は
最初はドロッドロで目も当てられない。
夫はこの一年、拒否したり逃げ腰だったりしながらも
よくぞつきあってくれたと思う。

私たちのほんとうの問題は不倫の後ろに隠されていた。
私は 夫が不倫を終えただけでは満足せず
その問題をずるずると二人の目の前に引っ張り出してきた。
私が問題視していたものを、夫は問題視はしていなかったのだから
今思えば夫の拒否反応も当然のことだったかも知れない。

私はただただ、夫が受け入れる受け入れないに関わらず
二人の間に溜まった膿を吐き出さねばならない、という切迫感で動いていた。

どさくさに紛れて吐き出したものの中に、母から受けたものも混じっていた。
それは、吐き出してみて初めて気がついたこと。

たぶん、夫の中にも似たような感覚...
私を自分の親と同一視するような感覚や、
そのことに気がついた瞬間瞬間があったのだろうと思う。

泥を吐き出すうち、少しずつ澄んだものが出てきた。
砂金のように、キラキラしたものが混じるようになってきた。
気がつくと、以前のような汚いものは出てこなくなった。
人間だから負の感情が生まれることはある。
でもそれが積もることはなくなった。
積もる前に、腐敗する前に、表に出せるようになった。

今、夫と私は 互いを澱ませてしまう関係でなく、
できるだけ自分の面倒は自分で見ようとした上で、
必要なときは素直に相手に甘えるようにし、思いやりを受けたら感謝の心を示し、
お互いに良い循環をつくっていこうという、共通の地点に立てているような気がする。

夫に直接その意志を確認したわけではないけれど
私の、“ほんとうの仲良しになるのだー!”という積極的なとりくみに
半ば無理やり付き合わされる形で参加し、
実際に色んな試行錯誤を経験する中で、
どうもこれは良さそうだ、とか
どうもこういうことは必要なんだな、とか
そんなことを体で覚えこんでいったように見える。

私は彼に与えすぎにならないよう、甘えたくなったら素直に甘える。
甘えることを覚えると、今度は甘えすぎになって、
甘えられないことを不満に思ってしまうこともある(生理前とかねー)。
そんな、極端な自分を発見したので、
今はホドホドに甘えて、甘えすぎない という技を身につけよう...と練習中。

そんな風に、お互いの自立と解放とが上手いバランスで共存できるように、
私たちは歩み出しつつある。
だから、私も夫も、この先少しずつ、体の調子も上がっていくのではないかな...?
と、希望的観測をしている。

だけど時々気になるのは母のこと。

私はいつも実家に帰ると具合が悪くなる。
はじめのうちは、甥っ子たちの世話でてんやわんやになるからかなぁと思っていた。

が、どうやら、母の存在が大きいらしいと気づいた。

母との関係、私は耐える部分が多かったものの、
離れて暮らすようになってその関係から逃げることができてしまったので、
なんだか通るべきところを通っていないような、
親子として、きちんとしたプロセスを経ていないような気がする。
間をすっとばしてここまできちゃった、みたいな。

ふと見れば、母は昔の母とちっとも変わっていないのだ。

私は今、夫との関係で学んだことを、もっと広い人間関係に応用していく必要を感じている。
そしてその最大の相手は、やはり母なんだなぁと思っている。

母の不満。愚痴。怒り。苛立ち。
それらは私が幼いときから、ストレスにしかならなかったけれど。
今はその奥にある、母が抱えている寂しさや、憂鬱な思いを理解してあげたいと思う。

今までの自分にはそんな余裕がなかった。
実家に帰るときは、ただただ日常から離れて田舎の自然に触れて休みたい
そんな思いだった(実際には休めたことはないのだけど)。
そして、毎度毎度期待は裏切られ、
母のイライラ放射能にさらされる羽目になり、
癒されることを期待していただけに落胆も激しく、
ドッと疲れて帰ってくる、の繰り返しだった。

今夏も、私と二人きりになると
母は待っていたように、他の家族や孫たちに対する苛立ちを
次から次へと機関銃のようにまくしたてていた。
ひとつ否定すれば、100倍にもなって返ってきそうな勢いである。

ああそうなんだなぁ、と思った。

私の前だとある意味、安心して負の感情を見せられるのだろうな、この人は。

それがいったい何故なのかは分からないけど
私はずっとこの人の気持ちの受け皿となってきたんだよな。
少なくとも18の歳までは。

面白いことに、故郷をあとにしてから、今年で丁度18年になる。

母とともに暮らした年数と同じだけの時間をかけて
私は自分を取り戻したのかも知れない。

この次の帰省からは
新しい私、ほんとうの私で 母と向かい合いたい。

少しずつ老いていく母
いつかはサヨナラしなければならない母

その時、少しでも穏やかな気分でいられるように。

めちゃめちゃ体が丈夫な母が、この先病に伏すことがあったら。
母はきっと落ち込むだろうし、冷静ではいられないだろう。

私にできることは限られているけれど、
いつか来るそんな日に備えて、
細々と、母の中に幸せの種を蒔いていくことができるかも知れない。

ほんとうにほんとうに、少しずつのことしかできないけれど。

それは、母の心の真ん中に働きかけてあげること。

私を生んだのはあなたなんだから、私に愛情を与えるべき、と。
そう 今まで思っていた。

だからこそ憎んだし、だからこそ与えてもらえないことが悲しかった。

今はそうは思わない。

愛って、人間の間にあるものだって気がついたから。

どちらかがどちらかに一方的に与えるんじゃない。
“愛を生むやりとり”というものがあるんだ。
そのやりとりの、私はきっかけをつくるだけ。

今度こそ、ほんとうに。
今度こそ、あなたをむやみに悲しませることなく。

埋められない時間と距離はそのままに

これからは はじけるようなあなたの笑顔を見ていきたいんだ。
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by marca-mia | 2005-09-06 13:22 | 思うこと・自分

どうしてこんなに


marca~
marca!
おーい、聞こえないの?
ねえねえってば!

ハッ!としたのと ビクッ!としたのと同時だった。
目の前に、夫のくりくりっとした目がのぞいていた。


私「ああ、やっちゃった~!」

夫「どうしたんだよ~。」

私「私さぁ、本読んでるとその世界に没頭しちゃってさぁ、
  周りの声も何も聞こえなくなっちゃうの。
  子供のときからそうだったんだよぉ。
  私が本読んでる間に、周りはドンドン夕食の支度をしてるのにね。
  食卓から1mと離れてないのに、ぜんっぜん気づいてないの。
  何べん呼んでも気づかないって、よく怒られたんだぁ~。」

夫「へぇー、そうなんだぁ。君は想像力豊かな子供だったんだねぇ^^」


私の背中をぽんぽん、としながら夫が微笑んだ。


私「えー...?なぁにぃ?想像力...?」

...自分でもびっくりするくらい突然に、涙がドーッと溢れてきた。


私「えへっ、えへっ。」

夫「なんだー!?何を泣いてるんだよぉ^^;」

私「そんな風に褒められたの初めてだぁー。」

夫「えっ、なになに、何だ、そんなことでー?」

私「だってこういうとき、怒られてばっかりだったんだもん。
  私さ、いっつも家族の中じゃ変わり者扱いでさ、
  みんな私のこういうとこ、あきれてたんだよ。
  想像力豊かだって~。
  そんな風に褒めてもらって嬉しいよぉー。えへっ、えへっ。」

夫「ふぅーん、じゃあもう一回言ってあげようか?^^」

私「ほんとぉ、嬉しいよおー。えーん、ひっくひっく...!」



夫と暮らし始めて一年ほど経った頃だったかな。

こういうことが起こるたびに、自分で自分にびっくりしてしまう。


夫の声に気がついたとき、
反射的に身構えてしまったのはこういうわけだったのか。


「どうしよう!」
「またやっちゃった!」
「またお母さんを怒らせた!」
「お母さんに嫌われる!」
「また『しょうがない子ね!』って思われる!」


一瞬で幼い頃の自分にタイムスリップしていた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


去年の秋、

夫を怒らせてしまい、暴れた夫が「出て行け!」と叫んだ。


私は、こんな私といる夫が可哀想に思えてきて、
それでも私が私でない状態を受け入れることができなくて、
こんな私が夫のそばに居ることが申し訳ないような気持ちになった。
少しでも早く、この人の前から姿を消してあげなくちゃ...!と思い、
すぐさまホテルを予約して、その日の晩から家を出た。


ああ...もう別居するしかないんだ、もう限界なんだ、と思った。


母に電話をかけて、泣きながら事情を説明した。

「わたしが悪いの、わたしが悪いの...!」と言いながら。


頭の隅っこの、妙に冷静な部分で
前にも同じ言葉を言ったときがあったなぁ...とぼんやり思いながら。



「ワタシガワルイノ、ワタシガワルイノ...!」



何で私、こんなときいつもこう言うんだろ、と、泣きながら思った。
母をがっかりさせるような事を打ち明けるときはいつも、そうだ。



ワタシガワルイノ...。



必死になって繰り返す。
いつも、そうだった。いつから...?思い出せないくらい前から。


母は親身になって話を聞いてくれた。
一緒に泣いてくれた。


ふっと楽になったとき気がついた。

私が夫に求めていた愛情の一部は、実は母から欲しかったものなのだと。

母から満たされなかったぶんも、夫に求めていたんだ。


今さらのように、打ち寄せてくる思いがあった。

ずっとずっと母に求め続けていたこと。
この歳になっても、結婚してすっかり自立したつもりでいても、ずっとずっと欲しかったもの...。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


年が明け、お正月に帰省したとき、
私は むしょうに母にひざまくらして欲しくなった。


...なんでひざまくらなんだろ?


あーそうか...。
私にとって、母のぬくもりの思い出は、ひざまくら...なんだ。

それも、耳掃除してもらうときのひざまくらだったり、
幼い頃から体の弱かった私が、病院からの帰りにタクシーの後ろの席で
「marcaちゃん横になりなさい」と言われて頭をのせた、母のひざまくら。


何の理由もなく母に甘えて、抱いてもらった思い出がないから。


ひざまくらしてもらうための正当な理由がくっついたときの、ひざまくら。
私から「して」とは言えず、
母から誘ってもらえるのを、不安な気持ちで待ってた、ひざまくら。


いつも耳掃除のときは、
私は姉妹の中でもあんまり耳垢がたまらないほうで、
「あら、marcaちゃんはぜんぜんたまってないね~。はい、おしまい。」ですぐ終わっちゃってた。
母が耳かきの綿帽子でサササッと耳の周りをはらって、
しあげにフッ!と息を吹きかけるのが、嫌がる振りしながら好きだった。



...そんな風に思い出していたら。


母が私の心を読んだかのように、
「marcaちゃん、帰るまででいいから、お母さんの耳掃除してくれる?」と言った。


母「お父さんはさぁー下手なのよ。
  ○○子(妹)が来たとき頼もうと思うんだけどすぐ忘れちゃって。」

私「うん、いいよぉ。」


って言いながら、帰省するまで、甥っ子たちの世話でドタバタして、
結局してあげるのを忘れてしまった。



東京へ帰ってから電話した。


私「お母さんにさー、耳掃除してあげるって言ってて忘れちゃったね、ごめんねー。」

母「あー忙しかったもんね。お母さんも忘れてたわ。いいよいいよ。」




ワタシネ、オカアサンニ、ヒザマクラシテホシカッタノ...。
ワタシネ、オカアサンノ、ヒザマクラガスキナノ...。


って言いたかったけど、言えなかった。


何だかね。
私がそんなこと思ってるなんて、
突然言ったらお母さんに悪いみたいで...ね。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



どうしてこんなにあなたのしたことが

どうしてこんなにあなたの言葉が

どうしてこんなにあなたのくれたものが


私の心を今でもふい、と揺さぶるのだろう。


どうしてこんなにも、あなたのことが気になるんだろう。


幼い頃も今でも
母に対して「大好き!」という感情を持ったことがない。


それなのに。

どうしてこんなにも切なくなるんだろう。



幼い頃も今でも
「私があなたに」与えなければいけないとばかり思ってきた。


私という子供を持てたことを、あなたが誇りに思えるように

お母さんを幸せにしなくちゃいけないと思っていた。

それなのにがっかりさせてしまう自分が嫌だった。



いつも自分のことでいっぱいいっぱいのあなたに

遠くから視線で追いかける私がただただ感じていた思いは...。




お母さん...。






どうして、私はお母さんの子なんだろう...?

どうしてお母さんは私のお母さんなんだろう...。

神様はどうして

こんなにお母さんの気に入らないことしかできない私をお母さんの子供にしたの?

親子なのに。

神様は、親子の組み合わせを選ぶとき、

お母さんが喜ぶような子を お母さんの子供にすれば良かったのに。

そうすれば、お母さんはあんなにイライラしなくてすむのに...。

どうして私みたいな子を、お母さんの子供にしたの?

どうして私みたいな子が、お母さんの子供で生まれてきたの?

なんでそんなことしたの?ねぇ...。
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by marca-mia | 2005-09-03 01:25 | 思うこと・自分

ぎりぎりの私


あなたは受けすぎる。



と呼吸法の指導員の方に言われた。

あなたには、ちょっと特異な感受性がある。
あなたは無意識だろうけど、人を受け容れて癒してあげている。

人の邪気を受けて、吸いとってあげるから、あなたに接する人は皆楽になるだろう。

でもあなたは受ける一方。
すべてを吸い込んで、吐き出すことができない。

出すことを覚えていきましょうね。



私のために、良い言い方をしてくれたのだろう。

実際には 一人で立っていられなくて、
依存する相手(私の存在価値を感じさせてくれる相手)を求めていただけのように思う。

感受性という点では、確かにちょっと異常だった。

自他の区別がつかなくなってしまうということを 前回の記事で書いたけれど、
なぜか、他者をケアしなければいけない、という強迫観念がまとまわりついた時期があり
それが依存心の強い人をひきよせていたと思う。

また、なぜかは分からないが 勝手に想像力が働いて
対象にぐっと入り込んでしまうところがあった。

おかしな話、一時は犯罪や事件のニュースを見ても
被害者、加害者、両方の人格に入り込んでしまい、苦しくなった。
この世に不幸な人が一人でもいる限り、私自身も幸福になることはあり得ないように思えた。
その感じを誰に話しても理解してもらえず、それも苦痛だった。

遠い国で戦火に怯える子供たちを見て、自分の責任かのように思えてしまうというのは
もう尋常な人間の感覚ではないと思う。

もろかったのだ、私自身が。

それは、事実を一歩ひいて客観的に見られない。
事実を事実として受け入れられない、という弱さだった。

誰かが誰かを殺すたびに、
人を殺した人間と同じ「人間」という生き物である自分が、とてつもなく嫌になる。
と同時に殺された人間の無念さや恐怖を想像して胸苦しくなる。


一方で

自分はいつか人を殺してしまうんじゃないか...と恐怖したときもあった。



死への興味。
こう書くと誤解を招きそうな気もするけれど、
自分は生まれながらにして殺人者なのではないかという恐怖と
自分自身「何となく死にたい」という気持ちを思春期の頃から抱えてきた。
激しい欲望ではなく、漠然としたものではあったけれど。

欲望というよりも「死」というものへの、果てのない追求心だったのだろうか。

下校の途中、踏み切りにさしかかると、飛び込みたくなる衝動を覚えた。
殺人者の心理を知りたくて、犯罪ノンフィクションを読みふけった。

矛盾している。
人が死ぬと激しく胸がいたむというのに。

自分が欲望を抑えて生きているからか。
だから人が殺されると自分の責任のように感じるのだろうか。
誰かが死ぬと自分が殺されたように感じるのだろうか。

それとも、人間の中にある「死への渇望」の正体を
解き明かしたかっただけなのだろうか。

人間が怖かった。

怖いものに引き寄せられるように、犯罪のニュースに見入った。

自分で見入っておいて、その毒にあてられ、吐き気を覚えた。

その吐き気も抑えて飲み込んだ。


出せない。


際限なく入ってくるばかりで出せない。


人を殺してしまいそう、と感じながら、平凡きわまりない毎日を過ごす。
何となく死にたい、と感じながら学校へ行き、友達と笑い合い、家に帰って、寝る。


中学も高校も皆勤だった。


あの頃、不登校するくらいの表現力があれば良かったのかな。
毎日毎日 自分の本性を隠して生きてるみたいで、
それでもグレたり、ひきこもったり、泣いたりする気も起きなくて

演じること、絵を描くこと、詩を書くことで どうにか自分を保っていたようにも思う。
クラスメートとの他愛のない話なんて、一秒でもしたくなかった。ほんとうは。

演じること、表現することの魅力にとりつかれたのは、
自分の中の得体の知れないエネルギーを 正当な形で外へ出したかったのかも知れないなぁ。

ああ、それと日記。

ホントに毎晩毎晩、ものすごい量の日記を書いて。
口数が少ないのに、日記には色んな思いを書きつけた。

大学受験を間近に控えた冬のある日、初めて自己啓発本(?)のようなものを買った。

そのときそれを買ったのは、
タイトルの一部にあった「くやしさ」の言葉に引き寄せられたから。

自分が「くやしさ」を抱えていたことを、そのとき初めて意識的に認めた。


第一志望の大学に落ちたとき、
母の目がみるみる釣りあがって、白目をむきながら、私に向かってわめいた。
そのとき、私の中で何かがプツンと切れた。


殺したかったのは、きっと母なんだ。

自分が死のうか、それとも母を殺そうかと 揺れていたんだ。


あのとき、母から離れて上京できて良かったんだと思う。

限界だったんだね。18の私。


距離的に離れたからといって、
ほんとうの意味で母から解放されたわけでもなく、
ほんとうの意味で自立できたわけでもなかったのだけど。


それでもあのとき母から離れられたことは、私にとって幸運だった。
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by marca-mia | 2005-09-02 18:15 | 思うこと・自分