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自分の限界


故郷の友人へ


こんな記事読んだら、傷つく人もいるであろうと分かっていながら、
書かずにいられませんでしたm(_ _)m
実際には、同じ内容を優しい言い方で伝えている私...。
でもそんなやんわりした言い方じゃ、私の本気度は伝わらないんですよね。


今振り返って、やっと分かった。
私を叱ってくれた人たちが、どんなに私のためを思ってくれていたかが...。
そして、その時は分からなかったけど、
叱ってくれた人の言ったことは、ほぼ例外なく正しいものでした。


友人に対して、嫌われる覚悟で厳しく接することができない私こそ、
自分を守っているのだということ...。


いくら「あなたも私も同じよ」と言ったところで、
相手がそう思っていない限り、私の意見は「強者の論理」となってしまうこと...。



などなどを思い、憂鬱になっていました。



まだまだ私には、人に助言なんてできないのだと、思い知りました。
助言しているつもりだけど、単なる依存。自己満足だと分かりました。
結局は、今の相手をそのまま認めてあげることができない心の狭さから
苛立ちを募らせ、その苛立ちを直に表現することもできないで、こんなとこに吐き出している。
友人と同じ目線で話ができない寂しさに、無理やり自分側へ引き寄せようとしている。



まだまだ器が小さい私。
器が小さいのなら小さいなりに、自分の限界を見極めて、
不用意に自分の心を消耗させないようにしなくては。
いつも、気がついたときにはもう遅いから...。



あまり意識はしていませんでしたが、
このごろの記事は「人に助言すること」にまつわるものが多かったですね...。


私の中には 不倫している人や 不倫された人に対し、
力になってあげたいという思いが膨らんでいたようです。


けれど、そう思えば思うほど、
不倫した人だけでなく、された人に対してさえ、
やりばのない、もどかしい思いにとらわれることが増えました。
(ここでつきあいのあるブロガーさんのことではありません。)


そんなこんなでまた胃が痛くなったり、頭痛に悩まされたりして、
やっと自分の限界に気づくことができました。


私にとって、自分の身を削って本気の忠告ができる相手は限られている。
それはつきあいの長さじゃなくて、深さによって決まるのだと気がつきました。



求めてくれる人には応えたい。
けれど、求めてもいない人に与えなくてもいいのだな。
そう思いました。


求めてもいない相手に与えようとすることは、
今の私には、葛藤を生むことになり、とても疲れます。
パーンと言い放てたらいいけれど、
相手の態度に、どんな言葉も受け止めるという覚悟が感じられない場合は、
どうしても相手の心の強さを信用できない。


言わないかわりに、相手との心の距離はどんどん広がってしまうけれど
それはいつか縮まるかも知れないし、
縮まらなくても仕方のないこと。



私は自分を大事にしていきます。


私は 私のエネルギーを、私のために使いたい。
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by marca-mia | 2005-10-24 21:25 | 思うこと・自分

故郷の友人へ


もう不倫したとか不倫されたとか、そういう問題じゃない。
いや、広い視野で見れば、不倫なんて、問題でもなんでもない。

悩みに埋もれて、辛くて辛くて、押しつぶされてしまいそうな相手を前に


甘いんだよ!
言い訳すんな!

そう叫んでしまいたくなる自分がいる。
自分だって、つい最近までもがき苦しんでいたのに。


結局のところ、
私は、自分さえトンネルを抜けてしまえば
その中にいたときの気持ちなんて、すっかり忘れてしまうのか...。


いや...忘れてなんかいない。
忘れられるわけはない...。
そう、忘れていないからこそ。


だからこそ、怒りが湧いてくる。


形ばかり求めて、考えが浅くて、自分がどうしたいかさえ、分かっちゃいない!
誰にも迷惑かからず、お金もかからず、体力もいらないような、
その程度のことすらやろうとしない!


辛いというからには辛いんだろう。
そのあなたの感情を否定はしない。


だから私の、あなたへの怒りも否定しない...!
それは無関心じゃなく、本気で関わっているということなんだから。


私から、あなたの心理が手に取るように見えるのに対して、
私のこの気持ちは、あなたには見えないでしょう。


それはあなたが、私を別種類の人間として見ているからなんだよ。


marcaはすごいよ。
marcaだからやれたんだよ。
marcaのケースは私とは違うから...。

あなたの胸にうずまく思いが、私には透けて見える。


私は思ってないよ。
あなたと私は違うだなんて、思ってない。


それは、私が、求めて求めて、自分の目で選び、つかんだ先達の知恵を、
決して「自分には無理」と聞き流さなかったから。


あきらめなかったから。


自分自身をあきらめなかったから!




感情は卑賤なものですか?
感情は忌むべきものですか?
感情は破壊者ですか?


感情こそが、人の心を動かすんではないの?


映画を観たとき、本を読んだとき、
あなたの胸には、様々な感情が湧いてくるでしょう?
それは汚いものですか?
みっともない?泥臭い?結構じゃないの!
その泥の中に真実がないなら、どこにあるの?


あなたの論理の中に?
あなたの分別の中に?


愚かでもいいじゃない。
あなたが愚かだからって私は見捨てはしない。


頭は、決め付けるためにあるんじゃないよ。
変化する可能性を締め出すためにあるんじゃない。


頭は考えるためにあるの。
考えるのは、進んでいくためなの。


あなたの胸の中の熱いもの...「こころ」を助けるために頭があるんだよ。


こころが先だよ。忘れちゃだめ。



自分をさらけ出すのが怖くて、
自分を守るために現状維持を繰り返しているくせに、
相手のため、と言ってのけるその口をつねりたい。
あなたの幸せを真剣に祈っている友人として...。
それが相手のため?
相手の楽のためでしょ?



自分の愛する男に、
人の心が分からないヤツのまんまでいてほしい?


自分の愛する男が、
あなたの心に触れられないでいるのを幸せだと思う?


不快にさせたくない...とその場しのぎを繰り返すの?


乗り越えるべき不快感を避けることで、
終わりのない不快感のループにはまっているのが分かんないかな?



本当に愛してる相手とは、すべてを許す相手のことを言うんじゃないよ。


本当に愛してる相手とは、自分のすべてをぶつけられる相手のことを言うんだよ!
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by marca-mia | 2005-10-24 13:58 | 思うこと・自分

夫婦は


愛し合ってるからこそ不仲

っていう時期があるんじゃあ!



まだ若いのに、仲良しこよしばっかりの夫婦なんて

キモチワルイっ。
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by marca-mia | 2005-10-21 08:09 | 思うこと・夫婦

夫へ


ひとつの選択をするということは

他のすべての選択肢を捨てること



わかってるよね?



最良の方法を模索するのはよいけど

全部を手に入れようとしないこと。d´ー`


そのうち動けなくなちゃうよっ^ー^
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by marca-mia | 2005-10-20 10:51 | 思うこと・夫婦

厳しさと優しさの重なるところ


昨夜久しぶりの友人Y子と飲んだ。

会話の中で、Y子の職場のある人についての話になった。

その人は、スパッとした物言いをする人で、
悩んでる人に対して、突き放すような言葉で言い捨てちゃうらしい。
言い方がきつすぎて、みんな敬遠してしまう。
あまりにもストレートなので、言われる方はグサリときちゃうそうだ。

でもそういう人って結構ありがたかったりもするなって思う。
普通皆が曖昧な言葉で慰めたり、励ましたりするような場面で、
そうやって、思いもしない角度から物を言ってくれると
新しい視点が与えられたりして。

だって本当に本当に悩んで、どうにかして悩みから抜け出したい!と思っているときって、
もうどんな意見でもいいから欲しいんだもの。
自分が思いつくようなことはもうやっていて、
それでもなお、行き詰っているから、だからこそ、辛いんだもの。

ただ、辛さのど真ん中にいて、心がボロボロになってるときはダメだ。
苦しんでることについて、人に話す気力も湧かないとき。
そんなときは、自分を保つので精一杯。
誰かに「実はね...、」って話し始めたら、感情があふれてきてグシャグシャに泣き崩れてしまう。
いったん心を開いたら最後、自分でコントロールできなくなってしまう。

人に話す気力が出てくるときって、心がある程度回復してきたときだと思う。
自分ではまだまだぐちゃぐちゃだと思ってるけど、言葉にできるってことは、
自分の感情が、少しは客観的に整理できてるんだと思う。
人に話せるようになった時点で、
実は、ある程度叱咤を受ける覚悟が、無意識にできているのかも知れない。


この頃、なんとなく、そういうことを考えている。


私は、自分が伝えたい内容が、相手にとってきついことだったら、
なるべく相手が受け入れやすい、優しい言い方をしたいなと思ってきた。
本当は、スパッ!グサ!と言いたいところを、
他の言葉でフォローしてみたり、言い回しを工夫してみたり。

けど、「言い方を工夫するための努力」をすることによって、
実は、言う側の自分も、割と消耗しちゃうんだよなぁ。
相手のためを思うからこそ、そんな気遣いをする訳だけど、
時々、「どんな言い方したって伝えたいことは簡潔、明瞭なんだよな。」って思う。
オブラートにくるむ作業がおっくうになる。
オブラートにくるみすぎたおかげで、
結局は言いたいことがきちんと伝わらない...なんてこともあるような気もする。

自分がそんな風に思い始めたからか、
近頃、スパッ!グサ!と、単刀直入に言う人に魅力を感じるようになった。

これは...もしかすると、
私のマゾな部分が、よりサディスティックなものを求めてしまってるということなのかな?^^;



...何となく、こういうことかなと思う。


本当に、深いところで相手のためを思ってものを言うとき、
単刀直入に言うことが、もっとも相手の胸に響く、という場合もあるかもしれない。
何のトンガリも無い、耳障りのいい言葉だけだと、
相手の心の奥まで届かずに、流れていってしまうこともあるかも知れない。

厳しい物言いも受け入れて、自分の糧にしていこうという人は、
話し手の言い方よりも、言っている内容に注意を向けていると思う。
その場合は、話し手も、あまり言い方を気にする必要はない。

「言い方」のほうに反応してしまう人は、
その厳しさが受け入れられずに、遠ざかってしまうかも知れない。
でもそれは、二人の均衡がとれていない、ということなんだろう。

自分のことを思い返してみても、
若く、まだ経験も浅い時期は、相手の言葉の内容ではなく、
言い方のほうに、より反発していたように思う。

人生の、かなり先を歩いている人(精神的な面で)...は、
あまりにも後ろの方を歩いている人のことは、面倒を見てあげられない。
厳しい物言いにいちいち動揺しないくらいの、経験を積んだ人が相手でないと、
たとえ優しい言い方であっても、伝わらない、ということを知っているのかも知れない。



誰かのアドバイスが欲しいとき、
アドバイスしてくれる人の言葉を正確に受け取るためには、
その人の一歩後ろくらいまで、距離をつめていることが必要かな...と思う。
その人の話す言葉を理解できる位置まできていないと、
ありがたい助言も、馬の耳に念仏になってしまう。

私がちかごろ、
修羅場をくぐってきた人のキツーイ一言に好感を覚えるようになってきているのは
そういう面もあるように思う。
きっと面と向かって言われたら、まだまだ動揺してしまうけど、
第三者として聞くぶんには、この言葉の強さは必要だな、と思ったりする。

修羅場をくぐってきた人は、
人生には厳しさも必要だということを良く分かっているのだと思う。
今の世の中、甘い人、優しい人だらけだ。
その結果、ひよわな人だらけになった日本。
厳しい人は嫌われる。
でも嫌われる覚悟なんて、その人には、とうにあるのだろう。


ほんとうは、みんな無意識に、厳しい叱責を求めている。

ほんとうは、経験を積んだ人からの、父性愛に裏付けられた怒りを 求めている。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



Y子は、そのズバズバ言う人のことを、
「結構グサグサくるんだよね~。」と言っていながら、
不思議とその人に話をしてしまうのだという。


Y子「私ってマゾかもぉ~。」


もしかしたら、その人は、Y子にとって必要な人なのかも知れない。
愛をもって、厳しい言葉で相手の心に切り込んでいける人なのかも知れない。
ちょっと興味が湧く。
私が実際にその人に会ったら、どう感じるのかなぁ...?


私とY子は、ここ数年で、語りあう言葉が劇的に変化している。
それはお互いに色んな経験をしたから。
以前はできなかった話ができるようになっている。
より「大人の会話」が出来るようになってきている。

昨夜は私も、Y子に対してスパッと言ってしまった場面があった。

あなたなら大丈夫、という気がしたんだ。




これは私の甘えかしら?それとも父性愛?
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by marca-mia | 2005-10-17 22:26 | つれづれ

ブロガーズ・ハイ


ブログをやっていると、ゾクゾクッとする瞬間がある。

誰かの記事を読んだとき、
コメントのやりとりをしているとき、
自分が書いているとき、
トラックバックをたどっていったとき...。
予想もしないときにやってくる。

心の隙間から、思いがけず もれてくる 涙のような熱いもの。

あるときは、
あなたの記事に書けなかった後ろ側の思いを何となく感じて
そっと固唾を呑んで見守っている。
コメント欄でくだけた会話をしているうちに、
どうしようもなくこぼれてくるその人の思いを感じる。

あるときは、
あなたのコメント欄から、いつもの絵文字が消えているのに気づく。
他愛のないやりとりに精気が感じられず、
辛い気持ちをためこんでいるのかな。と気にしていると
数日後にUPされた記事を読んで、そうだったのねと思う。

あるときは、
あなたの顔も知らないのに、
夢中でキーボードを叩く姿が浮かんでくるぐらい
ほとばしる思いを真っ直ぐに伝えてくれる。



心と言葉がひとつに重なって、
湧き水のように胸から溢れ出し、
一筋の大河になったような文章に出逢ったとき。



たくさんの前置きのあとに、
行間をおいて しぼりだされた たった一つの単語に出逢ったとき。

 

私が誰かからもらった勇気が、別の誰かに響いてくれたとき。



精一杯に、自分というものを この場へ差し出して
広い広いコロシアムの真ん中に、裸で立ち
天を仰いでも
地にひれ伏しても
逃げ場のないことを知り
涙を 流れるままにして 
白日の太陽の下で 心を開いてくれる人たち。



ワタシタチ 間は

みんな

似ているね



遠く離れた場所にいても
全く違う経験をしていても。

その人の真ん中から出てくる言葉に出逢ったとき、
それが、あなたであり、私でもあると感じる。
どんなに自分と違う考えでも
心をはだけるときの その感覚に共鳴する。

たとえ、自分の思い方と違っていても。

筆跡もうかがい知ることのできない 活字の集合が、
辞書的な意味以上の エネルギーを発散し
その人自身の体温で長い間抱かれていたかのように
ぬくもりのある、生き物のように、感じられる。



その言葉の意味でなく、

そのぬくもりが 記憶を呼び覚ます。



自分の身にも覚えのあるその感じ。



不安をそのままに、ただただ賢明に 誰かに伝えたいという思い。

そんな思いに触れたとき、
心がざわざわと波打つのを感じ、
私があなたになったかのような感覚を覚える。



それぞれに、
誰も代わることのできない 唯一の個性を持っていて
私ならしないことをするあなただったり、
私のできないことを簡単にやってのけちゃうあなただったり、
それがまた面白くもある。

こんなにも違うのねと驚く。



それでもまた 巡ってくる この感じ。



わたしたちは みんな 似ているね。

わたしたちは こころの奥の どこかで 同じなんだね。
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by marca-mia | 2005-10-14 22:39 | ブログ

夫の彼女だったあなたへ


夫の不倫相手は24歳だった。
夫はその女性とつきあい、最初のうちは楽しかったのだが
だんだん自分のことばかり話すようになっていった相手に 嫌気がさしたのだという。

「どうしても君と比べてしまって...。」

と夫は言った。

彼女からの連絡が次第に疎ましくなり、
自分からは連絡しなくなり、
相手から連絡がきても応えなくなった。

夫はいわゆる 自主帰還 だ。

不倫する妻帯者の中では優秀と言えるのかも知れない。
喜ぶべきことなのかも知れない。

でも私はつい最近...ひと月前まで、
その24歳の女の子のことが、気の毒で仕方なくて、心にひっかかっていた。

自分の卑怯さ、ずるさを自覚したくなくて
一番楽なやり方で彼女の存在を消した夫の弱さを 情けなく思った。



少し話は飛ぶが、私はよく「愛人顔」と言われる。

既婚男性から「愛人になって欲しい」と申し込まれたことが3回ある。
そのうちの一人は、あからさまに援助交際を申し出てきた。
「割り切った大人のつきあいだから大丈夫」と 口のはしで笑った。

「何か勘違いしてませんか」と返したが、
あのときの男の顔が忘れられない。

ひところ、自分はそういう種類の男性をひきつける雰囲気があるのだと思い ひどく悩んだ。

華美にしている訳でもない、化粧っけもない。
媚びた目線を送った覚えもない。
友人たちは皆 親しくつきあいだすと 外見と違う私の男っぽさに驚く。


今は自分のことを肯定的に捉えることが出来るようになったけれど、
男たちの下心が浮上してくるときの
あの何とも言えないいやらしい薄笑いは、思い出すだに寒気がする。


夫とあの男たちがだぶる。


妻は大事。別れる気はない。
けれど日常生活からはみ出した欲望を満足させたい。
自分はそのくらいの楽しみを与えられて当然の人間だと思っている。
そのために、一人の人間の青春を奪う。

一人の人間を、一人の女性を、
自分の欲を満たすための道具にする。

そこには相手に対する尊敬はない。
道具としか見ていない。
道具に値すると思うからそんな申し出ができる。

恋人のように食事したり、車で送り迎えをしたり、旅行に行ったりするのは
その自分の醜さをも ぼかしたいための パフォーマンスだ。

そんなこと、私には分かっている。
分かっていないのは、そこまで深く自分とは向き合っていない夫自身だ。

いや、心の底では 分かっているのだろう。
直視したくない。それだけだ。


女性性を尊重できない夫が、妻を尊重することができるのかと疑問だった。
夫に問うてみたいが、今はまだそんな質問からは逃げてしまうだろう。

一人の女性の男性観に影響を与えた そのことをどう思っているのか...?



女は体を許せば情が湧く。



夫も、その女性も、責任はフィフティ・フィフティではある。

だけど、同じ女性として、私は彼女のことを考えずにはいられなかった。

情が湧いたからこそ、心を開いたからこそ、
彼女は 夫に自分の話を聞いて欲しかったのだろう。
夫はそれがわずらわしかった。
相手のことなんかどうでもいいからだ。
自分の楽しみのために存在するはずの相手が、
自分の意志を持つなんて許せないのだ。
なんという傲慢だろう。

私はそれを そんな夫を 妻として喜ぶべきとは 思えない。

一人の人間の人格を否定できる夫が悲しい。
相手を大切になんて思っていないから、抱けたのだから。
相手を大切に思っていたら、手出しはしない。できない。


夫がそんな人間であると考えることが その24歳の女の子と自分を重ねてしまっていた。


あなたは、女性をそんな風に扱える人だから...と。

(だから私を一人の人格として受け入れられないんだ...。)
(だから私があなたの気に入る形で存在することしか認められないんだ...。)
(相手が誰であろうと 自分を不快にさせ始めたら、あなたはそこから逃げるんだね...。)


ひと月前、


夫と旅行に行った軽井沢で
身支度をしていた途中だったか またそんな思考がぐるぐるまわり始めていた。

突然、もう一人の私の声が 胸の奥から聞こえてきて手が止まった。


「違うな...。」



あの当時は、夫も彼女も、突き詰めれば同じような思考の人間だったということだろう。

彼女は、被害者のようで被害者じゃない。

自分を知らない、人間を知らない、その場しのぎでない幸せ と言うものを知らないんだ。

痛い思いをしたかも知れないけれど、
夫とのことで傷ついたかも知れないけれど、
それは彼女自身の過ち。彼女自身の性(さが)。

彼女がいまだに自分を被害者だと思っているなら、
それは彼女が成長していないということだ。

自分の愚かさに気づけたならば、あの経験にも意味があったということ。
それは あの経験が無ければ、彼女が気づけなかったこと。

分からなければまた同じようなことを繰り返すだろう。

それは彼女自身が選ぶことだ。




自分の犯した過ちから こんなことを学んだとか、こんなことに気づいたとか
そんな話は、プライドの高い夫は自分から伝えてきたりはしない。
だから見えない、私には分からない。夫の態度、行動から窺うしかない。
私がどう思っているのかと尋ねることは、
まだまだ夫にしたら 責められているとしかとれないだろうから。

でも私には 聞かなくても肌で感じる 直感というものがある。
そのくらい夫のことは理解している。そこには自信を持っていいような気がする。

言葉でハッキリと表現して欲しいという願いは捨てきれないけど、
夫が変わったことは、私にはもう分かっている。
夫自身に「今までの価値観を潔く捨てて生まれ変わった」と 宣言させたいだけの話だ。

それは私が夫に対して ちょっぴり罰を与えたいという思いがあるから。
裁判官のように、被告から反省の弁を引き出したいとの思いがあるから。

その自分の思いは否定しない。


でも夫は変わったのだ。それは事実だ。そしてこれからも変わっていく。


なら彼女が変わっている(いく)可能性もあるんだ。


男のずるさ、自分のずるさ、自分を大切にすることの意味を
体験から学び取って、今度は幸せな恋愛をするかも知れない。
もしも不幸感をひきずっていても、それは彼女の責任、彼女の問題だ。
私の人生と 彼女の人生は 別だ。
私はただ祈るだけでいいだろう。


「愛人になって」
そう言ってくる男たちは皆 私を、最初は見下している。
自分の快楽のための道具とみなしている。


「バカにすんな」
そう言い返せば彼らはもう 私をそんな目で見ない。


彼らに賛辞され、プレゼントをもらい、求められることで
自分の美しさ、自分の価値を確認する。
そんなことで、得をしたのは自分だと 勘違いしている女性たち。
体を許すことで、幸福な時間を手に入れられると思っているなら、
あなたは自分の体の純粋性というものを甘く見ている。

女性の体に刻み付けられる傷は、
そのまま心に刻まれる傷。

あなたはそれと知らず、あなたの体を自分自身で 道具と同じように扱ったのだ。

まがいものの愛を得るための道具として。




そんな女性を、男性が尊敬しますか?


いい女になってください。
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by marca-mia | 2005-10-09 00:14 | 思うこと・夫婦

お椀と木べら


食事時にふと見たら
お椀のふちから、よ~く見ないと分からない位のヒビが入っていた。
!ついに、きたかぁ~。
このお椀、上京してから使っているからもう17年になる。
あちこち漆がはげているし、
買い物に出てかわいい汁椀があると 心惹かれて見入るのだけど、
こういうものって決定的に壊れないと新しいものに変えにくい。

...そして、いざ壊れてしまうと何となく寂しいものだ。

料理のときに使う木べらも ええと、13年!?
しかも、100円ショップで買った覚えがある。
へらの部分の三分の一くらいは割れてしまっているのに、
浸みついた油の滑らかさと、手になじんで角のとれた感じが好きで
何年か前にやっぱり100円ショップで新しいのを買ってあるのに、
変えられないで使い続けている。
そのうち、換え用の新しいやつの方がカビてしまいそう^^;
よくフライパンの縁にちょい置きしてしまうので、
熱の当たるところが焦げているけど、この風合いも好きだったり。

フライパンは、加工がはげてこびりつきやすくなってしまって、
使うたびにストレスだったので最近新しいのを買ってきた。
そしたら食材の滑りが良くて、わ~すごい!使いやすい!

お椀も木べらも、新しいのに変えた方が、断然使いやすいんだろうけど...。

しつこい私は、
いいかげんもうダメだろ!というところまで使いつぶして、
う~んもう使いづらい!って嫌になるくらい不便を感じてからじゃないと
モノへの執着を断ち切れない。

これは、モノを大切にしてる、というのとはまた別の感覚。
すごく乱暴に扱ってるしね。

捨てるときの、一抹の罪悪感を 一日でも遠ざけたいだけなんかな。

お椀は、みそ汁が漏れて手を濡らしても
木べらは、割れ目が大きくなって食材を挟んじゃっても
使いづらいなぁ~なんて言いながらしばらくは使いそうな気がする。
器屋さんを通りかかるとソワソワと中を覗いては出てくるのだけど、
コレ!という一つが決められないのは、
まだ古い方への愛着が捨てられないからだ。



あっ!
コイツラが乗ってるこの「コタツ」も、17年使ってる!
何年か前にヒーターを取り外し、
足がぐらついてキィキィキィキィいう音を聞きながら
毎日夫と、この「元コタツ」の上でご飯食べてる...^^;
「新しいちゃぶ台欲しいねぇ」なんて話してたのは ハテ、何年前のことだっけ...?

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by marca-mia | 2005-10-03 15:29