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伝えるために(4)


*初めて読まれる方へ*

夫の不倫後、夫婦のやり直しを試みて今日まできました。
まだまだ未熟な面も多々ある私たちですが、
夫婦を続けよう、という意志を確認しあい、
お互いにかける気持ちは、以前よりも深くなっています。

最近の記事「聞くために」「伝えるために」は、
夫との対話を重ねる中で得た気づきや、
つまづいたことなどについて回想しながら、
足跡を整理するために書いています。

主に、1年前から半年間くらいの間に感じたこと、
また実践したことを書いています。



*******************



自分のことを話したいのに、相手を主語に話してしまっていた私ですが
語尾をちょこっと変えたことで、
少なくとも、話題のベクトルを「自分のこと」に向けることができました。


自分のことを話すつもりが 相手のことを話していたときに比べれば、
ほんとうの気持ちを伝える という目的地に、少しは近づけたわけです。


けれど「ほんとうの気持ち」へたどりつくまでは、ここからまた少し 道のりがあります。



......ここで話は前後しますが、
約一年半前の9月から、翌年の1月まで、計7回ほどのカウンセリングを受けていました。


ライフログに掲載している、「私の恋愛力をあげる31のルール」という本は、
私を担当してくださった心理士さんが書かれたものです。


この心理士さんのお人柄が出ているような、とても優しく平易な文章で、
気楽に読めます。(字も大きくて読みやすい!^^)
でも内容は、男女のコミュニケーションのツボをついていて、かつ実践的でもあるんです。


今手にとってみてちょっと驚いたのですが
サブタイトルに 「本当の気持ち」がわかれば恋はうまくいく とあります。
私は知らず知らずのうちに、この本に書かれていたことを実践し、その大切さを知り、
今また他の誰かに伝えようとしているんだな...と、感慨深くなりました。


この本には、5歳児のことばで表現してみる という章があります。


それによれば、
気持ちや感情は、5歳児程度の言葉で十分語れる のだそうです。


私にとって、それはとても新鮮な法則でした。
アイ・メッセージと並んで またひとつ、
自分の言葉を吟味する道具を授けられたと感じました。


自分の感情の正当性を説明したり、
いかに相手が理不尽かを自覚させよう...なんて考えていると、
あれこれと理屈を並べなくてはなりませんが、
素直な気持ちを表すのに、難しい言葉は必要ないのですよね。
むしろ、シンプルな感情表現のほうが、聞くほうも受け入れやすい。


それは、子供を見ていれば分かると思います。


子供でも、大人の思惑を測って、ときに自分を取り繕おうとすることがあります。
屁理屈をこねて自分の正しさを訴えたりもします。
大人には、子供の浅い考えは見えていますから、
ごまかしている様子を見ていると、腹立たしく、情けなく、悲しくなったりしますね。
けれど対話を重ねていった末に、その子がシンプルな感情を見せてくれたときには...
かわいくって愛おしくって 抱きしめたくなるはずです。


ぼく、さびしいねん...。


なんて言われたら、もうたまらないですよね^^
こんな風に言われたら、もし悪さをしたのだとしても、激しく叱りつけるんじゃなくて
「そうなのかぁ。さびしいのかぁ...。」って1回きちんと受け止めてあげて、
それから優しく諭してあげようって気になりますよね。
(大阪弁だと、よりカワイイ!ので大阪弁で書いてみました♪)


シンプルな感情表現は、相手の心にまっすぐ届きやすい。
それは、大人も子供もおんなじなんです。


いくら「私」を主語に話していても、
感情と結びつかない言葉ばかりを使っていたら、注意信号です。
小むずかしい心理学用語なんて、もってのほか...!
専門用語は、記号化された概念が伝わるだけにすぎず、
かえって届けたい気持ちの輪郭がボンヤリしてしまいます。
聞いているほうも、
もっともらしい言葉でケムに巻かれているような気分になっちゃいます。
それはお互いにとって、あまりよろしくない。
頭で考えた知識を交換したいのではなく、心と心でふれあいたいのに、
そんなことをしたら目的地から遠ざかってしまいます。


「気持ち」でなく「気持ちの説明」をしてしまうとき、それらは全部言い訳だったりするんです。
私も何度もやってしまったのですけどね...。
「あ~いけない...!」「今度はこうしよう...!」の繰り返しでした。


自分の言葉で、感じていることを そのまま口にするには、
いくつかの 心の鎧を脱ぎ、いくつかの 恐怖の壁を越えなければならないようです。
(これについてはまた別の記事で書こうと思います。)


実際やろうとすると、アイ・メッセージと同じで、
かえってぎこちなくなることもあるかも知れませんが、めげずにトライ&トライです。
たとえば、最初は15歳くらいになったつもりで話して、
徐々に年齢をさげていくのも いいと思います。


どうも大人になると、子供のような感情を持ってること自体が
なんだか恥ずかしくなってしまうようで、
私もちょっと(いやかなり?)、自分のプライドと戦いながらの歩みでした。


けれど、シンプルな気持ちを表現できたときの 安堵感というか、解放感というか
もう肩肘はらなくても良いんだ...という心地よさを 幾度か体験したら、
プライドなんて、大したもんではないと思えます。*^-^*



「伝えるために」

思いがけず長いシリーズ(?)になってきていますが、
まだまだ 思い出して言葉にしたいことがあるので、また次回に続きます。
(毎度長文ですみません^^;)


すでに「聞くこと」と少し交わってきています...気がつかれましたか?^^
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by marca-mia | 2006-04-30 23:42 | 伝えるために・聞くために

伝えるために(3)


アイ・メッセージで気持ちを伝えよう...!
いつからか、そう意識するようになりました。


けれど最初はなかなか、難しかったです。
それまでの私は「分かってほしい」という強い思いを、
夫への非難や要求に変えてぶつけるような、歪んだ表現をしがちでした。
まして不倫を知ってからは、どうしても、夫を責める気持ちが上乗せされてしまいます。


なので「私が...」「私は...」と言わなければならないところを、
「あなたは...」「あなたが...」と、相手の非を数え、
それに対して夫が逆ギレしたり、逃げる姿勢をとると
たちまち怒りが湧いてきて、コントロール不能になってしまいました。


アイ・メッセージどころか、
夫の態度のひとつひとつに過剰反応し、
心がぐるんぐるんに振り回されている状態だったのです。


でもそれでは、夫も聞いてはくれないし、
私も夫を責めるばかりで、嫌な後味ばかり味わうことになる...。


そこで私は、苦肉の策で 変化球を使いはじめました。


ある日話しながら「あっ、自分の気持ちを話していない!」と気づいたのです。
「あなたは...」「あなたが...」と、夫を主語に話していて、
自分でも気づかないうちに、夫を非難していたのです。
その気づきが胸をよぎったのは、一瞬でした。
そのまま終わりまで話しつづけ...最後に、「...と 思うんだ。」という言葉をくっつけたのです。
新鮮で 不思議な空気が流れました。


日本語の不思議!
「あなたは...」「あなたが...」と、相手を主語に話しはじめたのに、
「...と 思うんだ。」と結べば、どんでん返しのように、「私」が主語に変わるのです。



考えてみれば「私はこんな気持ち」と、自分のことを語るのは、
まるでドラマや映画の登場人物になったみたいで、慣れないうちは違和感が強い。
さかのぼれば子供の頃から そんな表現にはなじみがないのだ。照れくささもある。
急に上手くいかないのは当たり前だ。
徐々に言い回しを工夫していけばいいのではないか...?


「あなたは、私が尽くしているのも当たり前だと思って、
 平気で嘘ついて、私を騙してきた。
 今まで私がどんな辛い思いして、うつのあなたを支えてきたのか、
 全然分かっていなかったんだ...!って 思うんだ。

(↑最後のひと言を、つけたり、はずしたりして読むと ずいぶん印象が変わりませんか?)



この言葉をつけることで、私の意識も徐々に変わり始めました。
眉間に皺を寄せ、険しい目つきで聞いていた夫の顔が、
最後のひと言で ふっと力の抜けた表情になることもありました。


「...と 思うんだ。」というこの言葉は、私の心にも、少し丸みを持たせてくれたように感じます。


この言葉を使うことで 私自身も、
相手をなじり、非難し、責め立てたかったのではなく
自分の被害者感情や、無価値感を伝えたかったのだと、薄々気がつき始めました。


実際はこの言葉ですべてが上手くいくわけでもなく、
常に夫の逆上をふせげたわけでもないし、
私のもどかしさを すべて解消したわけでもありませんが、
この言葉が、私の中に微妙な変化を起こし、
その当時は見過ごしていたほどの、小さな気づきをもたらしてくれたのは確かです。


アイ・メッセージはとっかかりですが、
アイ・メッセージを意識することで産まれる気づきや、自発的な変化の方が、
アイ・メッセージをいきなりマスターすることよりも、重要なのかも知れません。


この言葉が、私の口から偶然出てきてくれたのは、何かの恵みですね...!
そこへ至るまでに、数え切れないくらいの修羅場があり、言い合いがあり、誤解がありました。
いわゆる失敗会話が 幾度となくありました。
だからこそ、実は必然的に この言い回しを思いついたのかも知れないけど
最初からもっと上手く伝えられる人はいるでしょうから、
私は不器用ゆえに、失敗の数も多く、そのぶん引き出しも増えたということかも知れません。


それから少しずつ、私はこの「...と 思うんだ。」という言葉を改良していきました。


「...と 思ってしまうんだ。」
「...と 思っちゃうんだ。」
「...って感じがするんだよね。」
「...みたいな気持ちになっちゃう。」


ほとんど無意識の作業ですが、人間の脳とは不思議なもので、
知らない間に学習し、試し、自分の感覚を通してフィードバックし、
少しずつ、じりじりと 目指す方向へ動きはじめていたように思います。
(3歩進んで2歩さがる...の世界ですが。)


そうこうするうち、色んな言い回しだけでなく

・注意深く言葉を選ぶような、ゆっくりした話し方
・自分に向かって話をしているような声色



などの変化が、加えられていきました。
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by marca-mia | 2006-04-27 03:09 | 伝えるために・聞くために

伝えるために(2)


・自分のほんとうの気持ちを話すこと



自分自身が、自分のほんとうの気持ちに気づいていなければ、
相手に伝えることはできないですね...。
気持ちは目に見えないだけに、
言葉にするには、さらに何段階かの心の整理が必要なように思われます。


そんなとき、ひとつの目印として アイ・メッセージ(I message)というものがあります。
カウンセリングや、教育の現場でよく使われる言葉で
簡単に言えば「私」を主語にして話す、ということです。


自分の気持ちを伝えるのだから、主語は「私」になるはず。
けれどこのアイ・メッセージを意識してみると、
パートナーとの会話だけでなく、日常のお喋りの中でも
「私」を主語にしていることは 思いのほか少ないのです。


自分の気持ち以外の「こと」や「もの」について語っているほうが、
人は安心するのかも知れません。
いえ、もしかしたら...自分の気持ちを語るのが恐いために、
それ以外の「こと」や「もの」について話さざるを得ないのかも知れませんね。


もちろん、イングリッシュ・スピーカーのように、
いちいち文の頭に「私は」「私は」を連発しなくてもいいのですが^^


大切なパートナーに 気持ちを分かってもらいたい...という思いがあるなら、
自分が話している内容の主語が「私」であるかどうか、軽くチェックしてみてください。


最初は、会話が終わってから。
何度か繰り返したら、会話しながら。



“今、私が話したこと、自分の気持ちだったかしら...?”って。




自分の気持ちを分かってほしいなら。
自分の気持ちを聞いてほしいなら。


それを、言葉にすることからしか、始まりません。


相手に聞く耳があろうとなかろうと、
自分の幸せのために、“今”自分の側にできることがあるならば
まず、それをしてみましょう。


「私」を主語にしているかどうかを意識することは、ひとつのとっかかりになります。
少なくとも、
「私」が主語でないときは、自分の気持ちを話していない
と、判断することができます。


「私」が主語であれば、
イコール、それが自分の“ほんとうの”気持ちである...とは、単純に言えないのですが、
「私」が主語でないときは、自分以外のものについて話しているか、
余計なぐちゃぐちゃ(不安・恐怖心)の方が大きくて、
肝心な「自分の気持ち」の方は、ちっちゃくなってしまっているのです。


余計なぐちゃぐちゃは、そぎ落としていきましょう。
まとわりついているものを払っていかないと、ほんとうの気持ちは 見えにくいままです。


アイ・メッセージ(I message)ができているかどうかを意識することは、
あまりごちゃごちゃ考えなくても簡単に判別できることなので、
気持ちを伝える練習の 初めのステップとしては
とても明瞭で とっかかりやすいと思います。


アイ・メッセージができないからといって、自分を責めることはありません。
ただのバロメーターとして 意識するだけでいいんです。


プレッシャーや義務感を動機として、
「やらなきゃいけない」と思ってやるなら やらない方がいいかも知れません。


アイ・メッセージを拠り所にして、
自分の気持ちを、自分の目に見えるところまで引っ張り出してみたい
自分の気持ちを、より効果的に、相手の心に届けたい

そんな思いが生まれて、そこからのスタートだったら
同じことをするのでも、より多くのことを発見できると思います。


「伝えたい」「わかってほしい」という気持ちは 誰でもが持っていると思うのですが、
ときにはそれが大きすぎて、
「何を」伝えたいのか、「何を」わかってほしいのか.....
その「何」=X(エックス)の部分が見えないままに、悩み苦しんでしまいます。


「伝えたい」「わかってほしい」という思いが伝わったとしても
「何を」の部分が伝わらなければ、どこまでいっても 安心することはできません。



大きな渦のように荒れ狂う

わかってほしい!という気持ちや
わかってくれない!という気持ち。



その感情の渦に飲み込まれっぱなしにならず、
渦の奥にある「X」を、見つめてみましょう。



あの手この手で、水面に浮かび上がらせていきましょう。
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by marca-mia | 2006-04-26 16:03 | 伝えるために・聞くために

伝えるために(1)

 
「伝えるために」

何回かに分けて書いていきます。


伝えることは、結果的に 聞くことにつながっていきます。
この記事で「伝えかた」を整理していくことで、
どこかの時点で、自然と「聞きかた」へと帰っていくことになると思います^^



夫の不倫を知り、
“これまでの私が、夫との生活にかけてきた気持ちを
 夫は全く理解していなかったのだ...!”と気づいたときから、
私は溜め込んできた気持ちを、夫に伝えようとし始めました。


最初は溢れだしてきました。
コントロールができませんでした。
何度も何度も夫の逆ギレや拒絶や逃げがありました。
その当時(一年半位前)かなり壊れていた私は、
まだまだ感情の嵐の中にありました。


激しい感情の渦の隙間に、理性が入り込む小さなスペースをなんとか見つけ、
どうにかして夫に自分の気持ちを受け止めてもらいたいと、
おかしくなりそうな頭を 両手で抱え込んで考えをめぐらせました。


無駄なことも、有効なことも、識別する余裕はなく
何でも試さずにはいられなかった時期です。


けれど試行錯誤を繰り返す中で得た気づきは、
心の痛みをともなって自分の身にフィードバックされるわけなので
結果的には、文字通り 今の私の血肉となっています。



さて、伝えること...。



「伝える」ということの中には、
二つの努力が同時に必要になるようです。


・ひとつは、自分のほんとうの気持ちを話すこと。
・もうひとつは、相手の心に届くように話すこと。



・自分のほんとうの気持ちを話すこと...。



これはなかなかに難しいのです。


自分のことが一番よく分からない、とよく言われます。
なぜ、自分のことが見えにくいのか...それは、
“自分のことなんだから分かっている”という思い込みが 意識下にあるからだと思います。


以前のブログ「あなたのみなと」で、
“感情は重層的なものである”ということを、
色んな表現で 繰り返し書きました。


こころの表面で感じている感情が、激しく強いものであっても、
それがほんとうの気持ちかどうか...?ということを
一度疑ってみることで、別の可能性が浮かび上がってきます。


私は十代の頃から こころの領域に関心がありましたが、
自分の目で、自分という存在を堀り始めたのは 5年ほど前でした。


自分を掘り進める鍬として使ったのは、
「なぜ...?」という問いかけでした。
この「なぜ...?」という探究心は、なかなかよい道具でした。


なぜ私は、こんなに傷つくのだろう?
なぜ私は、こんなに腹が立つのだろう?


傷つく原因、腹が立つ原因を、相手に求めるのではなく、
自分の中に求めていったわけです。


この「なぜ...?」という問いかけを自分に対してする習慣は、
一年半前の、壊れかけた自分の中にも、かろうじて残っていました。


ときには、タイミングよく手にした本が、私の探求を助けてくれました。



私は夫に対し、一度徹底的に失望しています。
夫には、夫自身の中にある問題を認め、変わろうとする意志が全くないこと。
私の話に耳を傾け、私の苦しみに寄り添い、理解しようとする気が全くないこと。
それを実感していましたから、
自分に目を向けるしかなかったんですよね。


そのときの私にとっては、
前へ進むには、自分ひとりで出来ることを最大限やるしか 道はなかったんです。


自分を掘り下げる作業が、
薄皮をはぐように、少しずつ
私を「ほんとうの自分の気持ち」に導いていってくれました。


次の記事で、できる限り分かりやすく書ければと思います。



そしてのちには、
一度は無理と諦めた夫の頑なさも、
奇跡のように、ゆるみ、ほどけていきました。
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by marca-mia | 2006-04-18 12:10 | 伝えるために・聞くために

聞くために


相手の話を聞く。

これは、実はとっても大変なことだ。


「そうよね。話を聞くのは大切よね。」と頭で分かっていても。
「話を聞けばいいのよね。」と簡単なように思えても。


では、実際に相手の話を聞いてみようとしたときに


・聞いてるつもりで聞いていない とか、
・聞いているのが辛くて、相手の気持ちに寄り添えない


ということが起きてくる。



私は、夫との相互理解を得ようとあれこれ模索していた時期に
「プロカウンセラーの聞く技術」という本を読んで、とても参考になりました。
(↑ライフログに掲載しています)


“聞く”ということは、生半可ではなく、
徹底して相手の話に耳を傾ける...そんな態度が必要だということ。


相手が“聞いてもらっている”という実感を持てるためには、
相手の発言を 無用にジャッジしないこと。


これらを頭に叩き込みましたが、
それでもなお、夫との対話にのぞむと、
それを実践することの難しさを痛感しました。


この本には、実践的な“聞く”ためのテクニックも紹介されていますが、
実際に感情のもつれた二人が向かい合ったとき、
そんなものはどこかへ飛んでしまいます。
それよりなにより、
“聞く”というそれだけの行為を貫くことに
大変なエネルギーを消耗します。


“聞く”という行為に、
それを貫くだけの価値がある と信じられなければなりませんし、
信じられたら、今度はその、信じる気持ちを保たなければなりません。


相手の話の内容が、自分にとって辛いものだった場合
聞きながら、口をはさみたくもなるでしょうし、
反論したい気持ちや、投げつけたい感情が湧いてくるかも知れません。


そのときに“聞くことの価値”を思い出せるかどうか。



ブログをやっている人は思い当たると思いますが、
自分の気持ちを吐き出し、それを受け止めてもらうことは
とても心癒されるものです。


心が癒されると、受け止めてくれた相手のことも
大切にしたいという思いが湧いてきます。


実生活では他人に話せないような思いを
ブログで綴っている人が多いということは、
誰もが100%ではないにしろ、
気持ちを吐き出せるという、そのことには、
とても大きな価値があるからなんだと思います。


そしてその価値は、誰にも読まれないただの日記ではなく
誰かが読んでくれるブログだからこそ、大きく膨らむのでしょう。


目の前にいる相手に、同じ癒しを与えたいと、
自分自身が辛く苦しい、向き合いの最中に思えるか。


それは、相手の状態にも、自分の状態にもよるのでしょうし、
できないときはできない。
それはもう、しょうがないことだと思います。


ただ、気持ちをちょっとそっちの方に向けておけば、
いつかは必ず“聞く”ことができるはずだと私は思います。


最初は、なんでもないとき、一人でいるときに
「今度は相手の話を聞こう」と思う。


いざ、相手を前にしたらできなかった...そんなときは
「次の機会には聞こう」と省みる。


何度かそんなことを繰り返したら、
「せめて自分に余裕のあるときは聞こう」と心に決める。


そしていつか、相手が話し出したそのときに
「今、聞こう」と思えるときが、必ずくると思います。


人に話を聞いてもらって、救われた経験のあるあなたなら、
その価値を知っているはずだから。


その価値を知っているということは
その価値を信じられるということだから...。


どうしてもうまくできない。
自分を抑えておくことができない という、そんなとき...。


もしかしたら、そんなあなたには、
自分自身が先に“聞いてもらうこと”が必要なのかも知れません。


そのときは“伝えること”が必要になってきます。


次回の記事では“伝えること”について、
私がぶちあたった壁や、感じたことについて 書きたいなと思っています。
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by marca-mia | 2006-04-01 23:09 | 伝えるために・聞くために