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厳しさと優しさの重なるところ


昨夜久しぶりの友人Y子と飲んだ。

会話の中で、Y子の職場のある人についての話になった。

その人は、スパッとした物言いをする人で、
悩んでる人に対して、突き放すような言葉で言い捨てちゃうらしい。
言い方がきつすぎて、みんな敬遠してしまう。
あまりにもストレートなので、言われる方はグサリときちゃうそうだ。

でもそういう人って結構ありがたかったりもするなって思う。
普通皆が曖昧な言葉で慰めたり、励ましたりするような場面で、
そうやって、思いもしない角度から物を言ってくれると
新しい視点が与えられたりして。

だって本当に本当に悩んで、どうにかして悩みから抜け出したい!と思っているときって、
もうどんな意見でもいいから欲しいんだもの。
自分が思いつくようなことはもうやっていて、
それでもなお、行き詰っているから、だからこそ、辛いんだもの。

ただ、辛さのど真ん中にいて、心がボロボロになってるときはダメだ。
苦しんでることについて、人に話す気力も湧かないとき。
そんなときは、自分を保つので精一杯。
誰かに「実はね...、」って話し始めたら、感情があふれてきてグシャグシャに泣き崩れてしまう。
いったん心を開いたら最後、自分でコントロールできなくなってしまう。

人に話す気力が出てくるときって、心がある程度回復してきたときだと思う。
自分ではまだまだぐちゃぐちゃだと思ってるけど、言葉にできるってことは、
自分の感情が、少しは客観的に整理できてるんだと思う。
人に話せるようになった時点で、
実は、ある程度叱咤を受ける覚悟が、無意識にできているのかも知れない。


この頃、なんとなく、そういうことを考えている。


私は、自分が伝えたい内容が、相手にとってきついことだったら、
なるべく相手が受け入れやすい、優しい言い方をしたいなと思ってきた。
本当は、スパッ!グサ!と言いたいところを、
他の言葉でフォローしてみたり、言い回しを工夫してみたり。

けど、「言い方を工夫するための努力」をすることによって、
実は、言う側の自分も、割と消耗しちゃうんだよなぁ。
相手のためを思うからこそ、そんな気遣いをする訳だけど、
時々、「どんな言い方したって伝えたいことは簡潔、明瞭なんだよな。」って思う。
オブラートにくるむ作業がおっくうになる。
オブラートにくるみすぎたおかげで、
結局は言いたいことがきちんと伝わらない...なんてこともあるような気もする。

自分がそんな風に思い始めたからか、
近頃、スパッ!グサ!と、単刀直入に言う人に魅力を感じるようになった。

これは...もしかすると、
私のマゾな部分が、よりサディスティックなものを求めてしまってるということなのかな?^^;



...何となく、こういうことかなと思う。


本当に、深いところで相手のためを思ってものを言うとき、
単刀直入に言うことが、もっとも相手の胸に響く、という場合もあるかもしれない。
何のトンガリも無い、耳障りのいい言葉だけだと、
相手の心の奥まで届かずに、流れていってしまうこともあるかも知れない。

厳しい物言いも受け入れて、自分の糧にしていこうという人は、
話し手の言い方よりも、言っている内容に注意を向けていると思う。
その場合は、話し手も、あまり言い方を気にする必要はない。

「言い方」のほうに反応してしまう人は、
その厳しさが受け入れられずに、遠ざかってしまうかも知れない。
でもそれは、二人の均衡がとれていない、ということなんだろう。

自分のことを思い返してみても、
若く、まだ経験も浅い時期は、相手の言葉の内容ではなく、
言い方のほうに、より反発していたように思う。

人生の、かなり先を歩いている人(精神的な面で)...は、
あまりにも後ろの方を歩いている人のことは、面倒を見てあげられない。
厳しい物言いにいちいち動揺しないくらいの、経験を積んだ人が相手でないと、
たとえ優しい言い方であっても、伝わらない、ということを知っているのかも知れない。



誰かのアドバイスが欲しいとき、
アドバイスしてくれる人の言葉を正確に受け取るためには、
その人の一歩後ろくらいまで、距離をつめていることが必要かな...と思う。
その人の話す言葉を理解できる位置まできていないと、
ありがたい助言も、馬の耳に念仏になってしまう。

私がちかごろ、
修羅場をくぐってきた人のキツーイ一言に好感を覚えるようになってきているのは
そういう面もあるように思う。
きっと面と向かって言われたら、まだまだ動揺してしまうけど、
第三者として聞くぶんには、この言葉の強さは必要だな、と思ったりする。

修羅場をくぐってきた人は、
人生には厳しさも必要だということを良く分かっているのだと思う。
今の世の中、甘い人、優しい人だらけだ。
その結果、ひよわな人だらけになった日本。
厳しい人は嫌われる。
でも嫌われる覚悟なんて、その人には、とうにあるのだろう。


ほんとうは、みんな無意識に、厳しい叱責を求めている。

ほんとうは、経験を積んだ人からの、父性愛に裏付けられた怒りを 求めている。



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Y子は、そのズバズバ言う人のことを、
「結構グサグサくるんだよね~。」と言っていながら、
不思議とその人に話をしてしまうのだという。


Y子「私ってマゾかもぉ~。」


もしかしたら、その人は、Y子にとって必要な人なのかも知れない。
愛をもって、厳しい言葉で相手の心に切り込んでいける人なのかも知れない。
ちょっと興味が湧く。
私が実際にその人に会ったら、どう感じるのかなぁ...?


私とY子は、ここ数年で、語りあう言葉が劇的に変化している。
それはお互いに色んな経験をしたから。
以前はできなかった話ができるようになっている。
より「大人の会話」が出来るようになってきている。

昨夜は私も、Y子に対してスパッと言ってしまった場面があった。

あなたなら大丈夫、という気がしたんだ。




これは私の甘えかしら?それとも父性愛?
by marca-mia | 2005-10-17 22:26 | つれづれ


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