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もしもあなたの周りにいる誰かが あなたを軽く扱ったとしても
あなたという存在の大切さは、生まれたときから少しも変わりません。
「他人からどう扱われるか」ということと、その人の存在価値は無関係なんです。
    

                      by marca-mia 2006-01-07







あっこさんへのコメントを少し直しました。


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人を信じる、ってどういうことでしょうね。
私は 自分の使っている「信じる」っていう言葉の中身が
この数年で変わってしまいました。

「信じる」というとき、以前の私は
この先あなたが私を粗末に扱わないと、信じる
という意味を込めていました。

私を 裏切らないと 信じる
私を 傷つけないと 信じる
私を 侮辱しないと 信じる

裏切るとはどういうことか
傷つけるとはどういうことか
侮辱するとはどういうことか

その判断はすべて、
「私」の信念や価値観や 「私」が受けたショックの大きさが基準です。

私が裏切られたと思えば それは相手の裏切りであり
私が傷ついたと思えば それは相手がひどいことをしたからなのであり
私が侮辱されたと思えば それは相手が侮辱したからに他ならないということです。

「相手を信じる」といいながら、その実は
「自分にとってお気に入りの相手になることを期待する」ということでした。
 
あくまで「私」が主体でした。

あるとき
自分の基準の中で相手を信じようとしても、相手は別の人間なのだから
自分の基準の中だけに納まってくれるわけはないんだ...ということに気づきました。

考えてみれば当たり前のことですが、それまでの私は、
その事実を頭で分かってはいても、認めることができず、抵抗していたんだと思います。
その事実を受け入れ、認めることができたとき、
自分とは違う存在である相手のことを、もっと知りたいと思いました。

相手に私を裏切る意図がなくても、私が裏切られたと感じることがある
相手が私を傷つけるつもりがなくても 私が傷ついたと感じることがある
相手に私を侮辱する気持ちがなくても 私が侮辱されたと感じることがある

相手の立ち位置と 自分の立ち位置を 分けて考えるようになりました。

私を傷つけた相手の中には、人を傷つけてしまう要素があるのであり
相手に傷つけられた私の中には、傷ついてしまう要素があったのです。

相手の問題と、自分の問題を別々に吟味し
また、お互いの「間にあるもの」を吟味するようになりました。

そうして見えてきたのは、
私を裏切ったり、傷つけたり、侮辱したりした人たちの
こころの貧しさや、寂しさや、ねじれでした。

私を傷つけながら、自分の中の大切なものをも傷つけている相手の姿が
私に嘘をつきながら、自分の心に向かっても、己を偽りつづける相手の姿が
私の眼に、ある意味新鮮に映りました。

「人を信じる」というとき、相手を主体に捉えるようになっていきました。

「信じる」という言葉に
「この先あなたが、貧しい心を豊かなものにしていくこと」
「あなたがそれを(時間がかかっても)できる人間であること」 を、信じる

と...そんな意味を込めるようになりました。

相手と自分を切り離したことで見えてきたものがありました。

...そして、違いを意識したからこそ、
相手の中にある、自分と同じ部分も見えてきました。

こころの貧しさや、寂しさや、ねじれは、私の中にもあるものでした。

お互いのこころの貧しさや、寂しさや、ねじれが作用し合ったとき、
人は、傷ついたり、誰かを傷つけたりしてしまうのかも知れません。

傷つけば、傷つくほど、寂しくなり、貧しくなり、ねじれていく こころ。

なのに
「私のこころはこんなに貧しい」 と嘆くことも忘れ
「私のこころはこんなに寂しがっている」 と泣くこともせず
「私のこころがこんなにねじれている」 と認識することもなく

相手に非を認めさせたい
相手に変わってほしい
相手に道理を知ってほしい

そのことばかりが頭を占めて、
自分のフィルターを通した相手の姿ばかりを見て
自分の傷をよく見ることをしませんでした。
相手のことも、曇りのない目で見ることができませんでした。

私を傷つけた人たちを俯瞰で見つめたとき
その姿は、ただの、寂しい人間でした。

自らを救う知恵もなく
光を見る目を持たず
こころに棘を生やし
藪の中で途方に暮れている
迷える子羊ともいえる存在でした。



少なからず、人に虐げられ、人に裏切られた経験のある私が
「人にどう扱われるか」を自分の価値と結びつけたまま生きていたら...。
今、私はこの世から消えていたかも知れません。

けれど私は今 生きていて

自分のためと、相手のために、別々に祈っています。

私が傷つかずに生きていけるよう、
私は 私のこころを豊かにし、棘のない、まるいこころを手にいれたい。

あなたのこころが満ち足りたものになりますよう、
あなたは あなたのこころを豊かにし、ねじれをまっすぐに直せますように。


一人一人が、一人一人の幸せにたどりつけますように。


あなたの幸せと、私の幸せが 重なるところを見つけ、
それを共有していけますように。
by marca-mia | 2006-02-11 12:14 | きらめく言葉たち


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