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7月13日。


二週間前 北海道へ行った日の夜

とってもとっても楽しく過ごして、夕食後に夜の散歩。
満天の星空を眺め、ゆっくり温泉に浸かって
明日の予定も決まったし、2人仲良く過ごそう と夫が寄り添ったとき



やっぱりわたしは泣いてしまいました。



楽しもう、楽しもうとする心が、その裏に抱えていたものまで 大きくしてしまったようで

今味わっているこの状況が幸せであればあるほど
無力感のような 情けないような思いが 胸の奥から染みだしてきて


けして悲しいだけの涙じゃないけど
どうしようどうしようと思うと顔があげられない。


私の記憶の中の夫はいつも
私が泣くと 「どうしたんだよー!なんで泣くのさー!」と問いただす。
うまく説明できないでいると キレて大声を出す。

私の望みは
...泣いてしまったときは、問いたださないで、黙って見守って。

夫の言い分は
...泣いていたら気になるだろ。俺が原因で泣いてるに違いないんだから。


でもね、涙は言葉にならないときに出てくるでしょう?
涙のわけを言葉にするには、落ち着きが必要。落ち着くには安心感が必要。
誰もわたしの心の翻訳機を、わたしの代わりに動かしてはくれない。
言葉の糸口が見つかる前にあなたに逆上されたら 恐くて何も話せなくなる。
恐さの方が大きくなって、自分のほんとうの気持ちを解き放てなくなる。



いつの日からか 自分が泣いてしまうことが、自動的に恐怖心に結びついていた。


だから、この夜も 泣きながら 追い詰められる心があった。


夫はやはり「どうしたの!?なんなの!?」と問いただす。
その口調は、幾度となくわたしにプレッシャーを与えた、
地団駄を踏む寸前の子供のような、苛立ちと懇願の混ざったような声


少し 前より恐くない。


私はここで恐がらなくてもいいのかも知れない。

夫はほんとうに、わたしの今の思いを知りたいのかも知れない。

泣くわたしを責めるつもりでなく、自分に何ができるのかを知りたいのかも知れない。



夫に受け入れてもらいたいという願い。



恐怖の記憶にとらわれて 夫の胸にとびこむ勇気を捨ててしまえば、
拒まれるショックからは、開放されるだろう...。

     けれど、

受け入れられる機会も永遠に失うことになる。



震える胸の半分は、勇気のせいだったのかも知れない。


わたし、わたし。
あんなことがある前は
あなたと一緒の生活を 前向きに頑張ろうと思ってた。
辛いこといっぱいあっても、あなたの助けがもらえなくても
いろんな悩みに一人で整理つけて、
2人の生活のために努力したり、
あなたが元気になるための力になろうって、
そんな気持ちが自然に持てるようになってきてた。

あなたがしたことを知って、それが全部ひっくりかえっちゃった...!
せっかく育ってきてた気持ちが、一気にマイナスになって...
どうにかゼロまで戻して、今は少しプラスが増えて、だけど、まだ全然足りないんだけど...!

あなたが一生懸命、わたしのことを考えて、わたしのことを気にして、仲良くなれるようにって。
あなたができる精一杯のことを いっぱい いっぱい 頑張ってくれてるのに。

嫌なことばっかり思い出して、嫌なことばっかり考えて
忘れなくっちゃ忘れなくっちゃ、と思っても、
また嫌なことを 思ってしまうんだ。

こんなにあなたが、一生懸命やってくれてるのに。


あのことがあってから、初めてこうして旅行に来て
こんなに楽しいのに、仲良くできるのに、嬉しいのに...。


どうしても 嫌なことを考えてしまうんだ...。
どうしても 嫌なことが浮かんできてしまうんだ...!




夫は黙って聞いていた。
わたしの頭の上に夫の顔があって、表情が分からない。




いいんだよ。



......。



いいんだよ。
嫌なことはね。
忘れよう忘れようと思うと余計に思い出しちゃうからね。

忘れよう忘れようと思うんじゃなくて、そうじゃなくてね。
なるべく他のことを考えよう。




少し前のわたしだったら、
「なるべく他のことを考えよう?それができたら苦労しないのよ!」
「他のことで気を紛らわして私の心に蓋しようっていうの!?」
って、そんな風に受け取っていたと思う。


だけど今はなぜだか分かる。


夫の言った「他のことを考えよう」という意味。


それは、2人一緒の、楽しい時間を たくさん過ごそう ということ。
嫌な思い出から逃れるように無理に笑顔をつくるのでなく
2人で仲良く暮らしていくことに、お互いの気持ちを向けていこう ということ。
嫌な思いは抱えたままで、それが消し飛ぶほどの幸せな瞬間を
少しでも多く、少しでも長く つくっていこう ということ。


うまく言葉をあやつれない夫の、言葉じりをとらえては傷ついていた今までのわたし。

言葉をなげつけあい、言葉に振り回され、しなくていいはずの罵りあいもした。


言葉に乗っている思いのほうを 見ていなかった。



だけど、だけど。




いいんだよ。



この言葉が、どれだけ欲しかっただろう。

こんな自分でいいのだと、わたしを受け入れてくれる言葉が。

他のだれでもなく、夫の口から。



誰が、何が夫を変えたのだろう。



わたしに怒りをぶつけ、暴言を吐き、暴れ狂った夫が
わたしをゆるし、包み、支えてくれる日がくると
あの日のわたしには 信じることができなかった。




信じもしていなかったものがもたらされた。




夫の胸で、子どものように、声をあげて泣いた。
夫はわたしの嗚咽に応えるように、ぎゅっと抱きかえしてくれた。



わたしが胸の奥でずっとずっと願っていたこと。



あきらめていた以上のものが与えられた。



7月13日の夜。



この夜 わたしは、

ともに愛を育む伴侶をもう一度 見つけることができた。
by marca-mia | 2005-07-26 23:32 | ただいま夫婦リハビリ中


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