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罪悪感


夫は、努力していないわけではない。
彼なりのやり方で できることを精一杯やってくれている。
それについては本当に感謝している。

この二年半で、変わらなかったわけでもない。
価値観の変化も少なからずあったと思う。
仕事への取り組み方や、生活態度を見ていれば分かる。

私が自分に自信を取り戻したように、
夫は、夫のペースで成長してきたのだろう。








お互い成長したけれど、上手くいかないのは
コミュニケーションの問題だ。

深くて有意義な対話をしたいと心がけてきたのは私だけだった。
そのために、伝え方を吟味してきた。

今の私には そんな努力をしてきたことが虚しく感じられるけれど
努力をしたぶん、夫の心中が理解できる気がする。

私は精一杯やったけど、夫の心の壁をとりのぞくことはできない。
私の伝え方に問題はないけど、夫は受け入れ態勢をとることができない。
私と同じ深度で、心を開くことができない。

なぜ私が対話を重要視しているかも説明したし、
それによって私が救われることも伝えたし
同じ提案をしている人の本も読んでもらった。

それでも夫は理解できないでいる。
頭で理解しているけど、心がついてこないのではなく
論理的に理解することそのものが出来ないという。
私から見て、分かりやすいと思われる本でも、
夫には難しすぎて理解できないのだと言う。

ほんとうは、理解できないと言うよりは、自分の枠を外せないのだろう。
夫が思い描いた再構築の形と、私の提案するそれは かけ離れすぎている。
私が提案して、それに従ってみるということ自体が
夫には、超えられない壁なのかも知れない。


夫が超えようとしないものを、無理に超えさせることはできない。
夫の側の問題である以上、私にはどうしようもないことだ。
それが ハッキリしてしまった。


夫の心には様々なフィルターがかかっている。
それを自分で外そうとしない限りは、こちらの真意は伝わらない。

不倫を“された”私だって怯えているけど
夫は“した”側だから、私の倍も怯えているのかも知れない。
怯えているがゆえに 私の話を聞けなくなってしまう。
そして私は、それを受けて傷つく。
これじゃヤマアラシだ。


不倫を過去のものとして忘れてしまうことができない私の言葉に、
夫が「責められている」匂いを感じとってしまうのは
自分の心の中にある罪悪感を投影しているからなのだろう。

いつか、夫にこう言ったことがある。


罪悪感なんてね、持たなくていいんだよ。
罪悪感なんて、何の役にも立たないんだもん。
罪悪感でいっぱいいっぱいになってたら、苦しいでしょ。
苦しいと、人のこと考える余裕なんて、なくなっちゃうでしょ。

ほんとうに私に対して悪かったと思ってくれるんだったら、
罪悪感で自分を追い詰めるのをやめて、
私を助けてほしいんだよ。



...けれど、罪悪感を捨てられないでいる人に
さっさとそれを捨てろとは、残酷な物言いだったかも知れない。


きっと、私が被害者意識を捨てるよりも更に、大変な勇気がいるだろう。
自分のしたことを後悔しているなら、なおさら...。


罪悪感で自分を追い込むことで、
夫はなんとか「償っている自分」というものを感じていられたのかも知れない。


罪悪感をよりどころにしている人は
自らその梯子を外してしまうことに、とてつもない恐怖を感じるのかも知れない。


人を傷つけて罪悪感もないような人間に“成り下がる”ことに
抵抗があったのかも知れない。


......私は、夫が抱えている罪悪感をとりのぞきたかった。


夫が 罪悪感を抱え込むことで、
まるで「自分こそ被害者」かのようにふるまうのが嫌だった。


夫が私のほうを向いてくれているという、確かな安心感がほしかった。
罪悪感というフィルターをはずして、私のありのままを見てほしかった。
夫がそれを心がけてくれさえすれば、二人でやっていけると思った。



けれど、夫の罪悪感を解消するために必要なのは
“罪悪感を捨てよ”と諭すことではなくて
罪悪感を抱えた夫を、まるごと認めてあげることだったかも知れない。


私にはその勇気がなかった。


認めてしまえば......
夫の中の罪悪感を刺激して
被害者の立場を強調することができなくなってしまうから...だろうか。


矛盾しているのだけど......。



私は知らず知らずのうちに
夫に 加害者として振る舞うことを求めていたのだろう。
夫を自由にし、心の鎧をとり除いてあげたいと急ぎ過ぎて
夫自身がまず「自分を許すこと」を待てなかったのかも知れない。


私が、夫の自己解放を 必死の思いで促しているとき
「加害者なんだからもっと真面目にやってよ」という顔をしていたのかも知れない。
少なくとも、夫にはそう見えたのかも知れない。


鎧をとりはずすのは、夫がその気にならないとできないことだけど
私は心のどこかでそれを
「傷つけた側の夫がなすべき義務」だと、決めていたのだろう。


意識してやってきたわけではないし、悪意があったわけでもないけれど...。


夫が 夫婦のコミュニケーションの質に目を向けてくれていれば、
そう感じることは無かったはずだけれど...。


私たちは そこまで思い至らなかった。そういうことだろう。



罪悪感と被害者意識



二人がともに、
お互いを思うがゆえに それらの感情で自らを縛りつけ
お互いの痛いところを刺激し合ってきたのだとしたら、なんと切ないことだろう。


助けを求めていたのは私だけじゃない。
夫もだ。


“罪悪感”という免罪符にしがみついて心を開こうとしない夫に
私はずっと“素直になって”と呼びかけてきた。
素直に助けを求めたっていいのだと、分かってほしい。
お互いに何もしてあげられないとしてもいい。
助けを求める相手の姿をただ、肯定することなら できるのだから...。



少しは冷静になれた今なら
夫をもう少し受け入れられるだろうか。


罪悪感を捨て、濁りの無い目で私を見つめてくれる夫ではなく
罪悪感を持ったままの、怯えている 弱い夫を認められるだろうか。




「許すこと」ができる立場にあるのは、私のほうだ。
by marca-mia | 2007-02-12 00:37 | 思うこと・夫婦


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